スケジュールに花束を

バンド、フレンチトーストのブログ。広島の明王台という団地にあるきららカフェで、2014年春にすがわらよしのりとマスターとで結成したフレンチトーストのストーリーを伝えます。

311以後、新たに大きな国難を迎えていた。
新型コロナウイルスが中国で蔓延して、隣国である我が国日本にも上陸した。
政府の対応が余りにも不適切で鈍間過ぎた。
医療倫理に反した非常に不味い対応だった。


311の時もそうだったけれど、情報の隠蔽が続いた。
改憲には絶対反対の僕だった。
国会は強行裁決の嵐で、民意など全く蚊帳の外に置かれ無視されていた。
その上改憲などされてはたまったのもではなかった。
311以後の社会問題や新型コロナウイルスへの政府の対応を見ていて、危機に対する感覚がないのかと思える程判断が遅くて、一体何を考えているのかさっぱり掴めなかった。
政権側には政権側の考えがあったのだろうとは思う。
だけど、問題に上手く適切に対処していたとは言えなかったと思う。

新型コロナウイルスへの日本政府の対応に対して、国際社会から非難が殺到する有り様だった。
それは適切に対応して欲しいという世界からの願いだった。
幾ら正しいと思って行った政治的措置も、結果が着いて来なかったなら過ちがあったと思うべきではなかっただろうか。
特に今回の新型コロナウイルスへの対応については、そういったことにはっきり該当する問題だと思った。
国際社会の中で日本だけが、新型コロナウイルスの感染拡大へと繋がる最初の措置を行ったという事実があった。
日本政府は国際社会からの批判の意味をどの位くみ取り理解出来ていたのだろうか。
我が政府の新型コロナウイルスへの対策の無策さや無能ぶりが明らかに露呈してしまい、世界的なパンデミックを引き起こし兼ねない危機的状況の中で世界から非難が生まれたことは当然だったと思う。
だが日本政府は対応は適切であったと主張していた。
本当にそう信じていたのだろうか。
それとも単なる詭弁や嘘だったのか。
これは311以後、この社会が原発に対する認識を改めようとはしなかったことに通じる事柄だと思った。

政府による放射性物質の汚染状況の隠蔽が続き、国民もその問題から目を背け続けて来た。
その部分に於いて、311以後の日本社会には殆ど進歩がなかったように見えた。
とても残念なことだった。
現実を見ようとしない国民。
そしてなり振り構わず私利私欲の為に権力を奮うように見えていた政府。
真実かどうかは分からない。
だけどそういった現実的な状況への政府や多くの国民の反応を見て推測するに、これは裏表で一体で同じものだと言わざるを得ないように思った。
国民の心の状態の投影が政府の姿に違いないように思えた。
無関係ではなくて、必ず何か因果関係が働いているように思えた。


日本は戦後恵まれ過ぎたのだと思う。
政治家も国民も前の世代の築き上げて来た国の財産や恩恵を受けて、ろくに世界のシビアな現実に向き合うこともなく、何も考えなくても平和に暮らして来れたことが日本人を駄目にして来たように思えていた。
長き安定した平和の中で、現役世代の大方の人々が生きて来た。
僕達は何とかなる経験ばかりを積む内に、危機意識が次第に薄くなって来たのだろうと思っていた。
余程大きな代償を支払わないと、この国はもう変われなかったのだろうか。
生命にとって一番大切なことが何か本当に分からなかったのだろうか。

お金より命

たったそれだけのことが。

新型コロナウイルスの問題は、311の時の福島第一原発事故放射性物質への取り組みと延長線上にある事柄だった。
人間の生活に対して危険なものとの向き合う姿勢が問われるという意味で同じことだった。
原発に対して考えを改めなかったから、コロナウイルスの脅威に曝される現実を招いてしまったように思う。
このまま考えを改めなかったら、益々ハードな危機に直面することになるのは明らかだと思った。


人間はとても愚かだ。
高度に文明を発達させては戦争を繰り返し、何度も滅びて来たのだろう。
原発の問題にしても新型コロナウイルスの問題にしても同じだった。
人の欲が引き起こした明らかなる人災だった。

人間が多くを望まなければ、この地球は楽園で天国のように美しい夢の星なのに。
人間はそれだけのことに気付けない。
何千年かけても。

空は澄み渡り、風が歌う。
春に花は咲き乱れ、日本には美しい四季の移ろいがあった。
その風情の中で、大切な人と寄り添い静かに何気なく、そして強く生きる。
元気で笑顔が絶えないことに感謝しながら。
それ以上に大切なことなんて、本当は何もない。
問題は常に人間の身勝手な欲から起きていたように思っていた。

死んだら終わりだし、もともこもない。
お金や財産なんて、死んだら全て手放さなくてはならない。
所有出来ず、一時的にこの世で借りているだけのものだった。
自分のものなどではなかった。

人や世界の美しさへと目を向け深く慈しみ愛し、そして人から慕われるような生き方が出来るように頑張ること。
それがこの人生の全ての価値だと僕は思う。
それは魂の財産となり決してなくならない。
そういった心掛けから行動するば、そこから生まれる恩恵は益々増えて行く。
お金や物だけが僕達にとっての唯一の豊かさではないという事実について、我が国日本の対峙している国難は教えてくれようとしていたのではないだろうか。
本当に大切なことは、実は当たり前過ぎて僕らは忘れてしまいがちだ。
僕らがもっと愛し合って幸せになれるように、険しい道だけど大切なことに気付きなさいと何か大きな存在から日本や世界に愛が向けられているのではないだろうか。

命を第一優先にする国へ。

政治指導者という立場の人に分かって欲しい。
国民こそが国の一番の財産であるということを。
その国民の権利を奪い貧困へと向かわせる政治は、まさに政治家自身の首を自らで締めていることなのだと知って欲しい。
独裁的な政権は必ず滅びる。
自然の理に適った営みをしていないからだ。
無理がある。
そして国民からの恨みを買いろくなことにはならない。
いいことなんて何もないのに、どうしてそれが分からないのだろう。
政権側の真意がどんなものなのか分からなかったけれど、起こっている事柄からそんな風につい嘆きたくなる僕がいた。
権力者達が私利私欲の為に暴走しているように見えたのだ。


これからの我が国の在り方について思いを馳せてみる。

多少貧しくとも互いに慈しみ合って手を取り合い生きることで生まれる真の幸福感を感じながら生きる方が人間として本当に豊かであり、またその営みは未来永劫に続く尊い愛の営みであることにもう気付かなくてはいけない時期に来たと思っていた。
人はみな不完全だ。
許し合わなくてはならなかった。
長所を見て多少の欠点には目を瞑る。
お互い様の精神が大切だと思う。

はっきりと言えることは、毎日繰り返されていた果てしない生存競争の嵐の中でいがみ合い足の引っ張り合いをしていても幸せはやっては来ないということだった。
誰一人特をしない。
面白くもないし、皆孤独になって死にたくなるくらいのものだという気がする。
自殺者ワーストワンの国。
そのことをとても悲しく思っていた。
助け合いさえすれば、足りないものなんてこの国には大してなかった筈なのに。
分け合えば増えるということを僕らは知らなければならなかった。

戦後の焼け野原の街を復興させてくれた昔の日本人のお陰で、世界にその勤勉さや努力、誠実さが伝わり認められ信頼されて高く評価されて来た全てのものをこの国は自ら失おうとしていた。
僕らは大抵の人がたぶん、戦後の平和の中で自分の権利の為に立ち上がり行動を起こしたことはなかった筈だと思う。
311以後、初めてデモを体験したような人が多かったことだろう。
学生運動に敗北して以来、国家権力と闘うことを諦めた。
それは時代を越えて、それ以後の世代にも無意識のレベルで受け継がれて来たように感じていた。
日本人の魂に受け継がれて来た美しさを、もう一度世界に向けて表現し直すことが大切なことのように思っていた。
プライドと誇りを取り戻したい。

戦中に等しい混乱の時代の中で、僕はまだロマンを捨ててはいなかった。
全ての日本人が、歓びを持って参加することの出来る社会になって行きますように。
尊厳が守られ、命の重みが感じられる人間性が育まれる社会になって行きますように。

 

今日紹介しているYouTubeは、約1年前にライブで素晴らしき人生をという曲を演奏した時の映像です。
皆様の人生にこの曲を贈ります。


フレンチトースト 素晴らしき人生を

素晴らしき人生を

人生はなんのためにあるというのだろう 立派な人になるように育てられ
幸せは人それぞれ違っているのに 学歴を積み会社に勤める
日本という国 戦後豊かさ求めて 皆幸せになれると信じた
世界有数の経済大国になって人々は
豊かさと幸せを取り違えたんだ
Ah 素晴らしき人生を 愛すればとても美しいよ
夢は消えたんじゃなくて 目が覚めて愛に気づいただけ

悲しみに暮れる人を見ていると僕は 胸が痛んで抱きしめたくなるよ
失ったものの多さに絶望している 大切なのは命と未来さ
生存競争で互い傷つけ傷つき 競い争い全て失った
心満たすもの それは愛だけさ 時代変わっても
人間が失っちゃいけないものは愛
Ah 素晴らしき人生を 心から祈り歌っている
本当に大切なことをひとつずつ数え直せばいい

人の幸せは 何気ない日々振り返るその時分かるよ
あれが愛だと


Ah 素晴らしき人生を 愛すればとても美しいよ
信じていたもの達が崩れてもあすに懸けて欲しい
Ah 素晴らしき人生を 心から祈り歌っている
空はどこまでも高く広がっているさ あすに向かい
広がっているさ 愛のように