スケジュールに花束を

バンド、フレンチトーストのブログ。広島の明王台という団地にあるきららカフェで、2014年春にすがわらよしのりとマスターとで結成したフレンチトーストのストーリーを伝えます。

全員集合 de SHOW!の初演

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※今日のこのブログ記事は、昨年12月15日にきららカフェさんで行わせて頂いたライブのレポートとして書き溜めていたものです。



全員集合 de SHOW!の初演

2019年も、あと半月程を残す蚤となった日曜日の夕方。
きららカフェでFRENCH TOAST de SHOW!が幕を開けた。


カフェのオープンは16時30分で、ライブは17時からという予定になっていた。
昼間はライブに来ることが難しいお得意さんがいて、その人の都合のいい夜にライブを計画したことがこの日のライブをやることになった事の始まりだった。
そのお客さんは、昼間はお百姓仕事があり忙しくてライブに来たくても来ることが出来ないという事情があった。
フレンチトーストライブに来てくれていた、定年を迎えた位から上の歳の世代のお客さん達は畑仕事をされている方が多かった。
人間が自然の中で生きて行く姿として、理想的だなと僕は思った。

農家が生き辛い政治的政策があり、自然と解離した生活を強いられている現代社会。
人の心が何か得体の知れぬものに脅えるように追い詰められていたとしても、何ら不自然なことはないと思った。
僕が少年の頃、時代に対して脅えていたもの。
あれは安全神話の中で盲目的に信仰されていた、社会的掟に対する危惧の念だったのではないかなと感じていた。
STAND BY MEは風に乗り流れてという曲では、その体験を歌っていた。
BLUEになっちまうもそうだった。

人が幸せになれないような政治的な政策がありきで、日常は成り立って来た時代の流れがあったと僕は思う。
だからGood Musicが余計に必要なのだと思う。
いい音楽と共に仲間と集い過ごす時間は、本当に豊かな思いにさせてくれて僕達にとって大切にしなければならないものが何だったのかを思い出させてくれる。


お客さん達の多くが遅刻して来られるとの話を聞いていた通りになり、オープニングから聴いてくれていたのは遅刻すると連絡のなかった6名のお客さん達となっていた。
僕は風邪が治りかけていて、鼻声で歌の調子が良くなかった。
ライブは少し遅れてのスタートだった。
カフェの雰囲気から何となくそんな出だしになっていた。

ダンスをする小1の少年上原孝太郎君が、お母さんと兄弟2人と共に姿を見せてくれていた。
バタバタしていて、なかなかライブのお知らせをお客さんになって下さっている方全員に迄上手く伝えられてなかった。
当日になり、孝太郎君のお母さんにLINEのメールでライブのお知らせをした。
そうしたら来てくれるとの内容の返信があった。

ブログの方も風邪をひいたりして更新しないままになっていた。
ブログがどれ位皆さんの役に立てているのか、よく分からなかった。
LINEのメールでのライブのお知らせが都合がいいというリアクションが多かった。
ネットやSNSをする人には、1番楽なライブのお知らせの受け取り方だったのかなと思っていた。
それ以外には、昔ながらの連絡方法として電話を使っていた。

僕は広報活動は苦手だった。
なので母がライブのお得意さん達に電話を掛けてくれていた。
元々母の知り合いを伝にお客さんを呼んでライブを始めていた。
その関係もあり、母が連絡役を務めてくれていた。
だが、そろそろ別の手段でライブのお知らせを始めるべきタイミングになりかけている気がしていた。
80代を目前にしていて、老いて行く母にいつまでも依存している場合ではなかった。
LINEのメール等によるライブのお知らせに切り替えて行くことを考え始めていた。

僕はどうも宣伝みたいなことは苦手で、余り好きではかなった。
だが今は自主的に広報活動を地道に重ねやって行く位しか、世の中の皆さんに自分の音楽のことを知ってもらう術がなかった。
例えば口コミでいい本が広まることがある。
そんな風な音楽の広まり方が素晴らしいなと思っていた。
僕は資本主義社会にどっぷり組み込まれたくなかった。

日本社会はズタボロで、街に出れば何も信用が出来ず詐欺まがいな世の中に嫌気が差すことが多かった青春時代。
日常はド派手だとしても、嘘、嘘、嘘のオンパレードのような気がしていた。
虚飾のアスファルトジャングルでは、人間性が常に削り取られて愛や夢が痩せ細って行くばかりのように感じていた。
そのことが僕には本当に寂しくて、とっても悲しいことだった。

世界の先進国から徐々に遅れを取り、この国はやがて相当に酷い後進国になって行ったと思う。
日本がバブルの頃には貧しかったよその国の下請けの仕事が回って来る時代になっていた。
そして精神的にも貧しく疲弊して行ったと感じていた。

そんな時代の中にあり、僕は自分の音楽だけを頼りに生きていた。
頼れるものは他に何もなかった。
2019年の年末に向かっている頃。


各ご家庭の経済状況は、大抵の場合どこも苦しくなる一方だった。
そして更には消費増税案が通り、施行がスタートしていた。
消費税10%。
白昼も真夜中もダブルワークに追われた人々の暮らしがあった。
24時間働けますかというキャッチコピーが流れていたバブルの頃から、この国は随分遠く旅して来たのだなという気持ちになった。
バブルの頃には、国民は経済成長の為に24時間働いていたけれど、今は格差社会の貧困に喘ぎダブルワークで生活を凌ぐ時代になっていた。

増税は国民の奴隷化の象徴だと僕は思った。
集められた税金は、国の借金返済に大方が回される見込みだった。

現政権の筋違いと言わざるを得ない、国民を蚊帳の外に置いた政治が行われていたように思う。
民主主義のいい所がことごとく破壊されて行ったと、個人的にはそう思っていた。
そしてそんな政治が行われる国になってしまったのは全て、政治に無関心で社会の為に自分では何もしようとしない僕ら自身の誤りが招いた現実だと思っていた。
そんなことを考えながら過ごす、令和元年の年の瀬の押し迫る頃の話だった。


現役高校生の少女と、その彼女のお母さんもやって来てくれていた。
星野源さんの曲の演奏をリクエストして下さっていたのだけれど、まだ準備が出来てなくて今回は演奏出来ないことをお伝えさせてもらった。
イデアという曲を練習していた。
また次の機会にリクエストにお応えして演奏出来たらいいなと思っていた。
きはぴーだった気がするが、前回現役高校生の少女がアップルパイを焼いて持って来てくれていてその話をしていた。
アップルパイを食べて嬉しかったらしい。
アップルパイの人だと既に記憶しているような反応が可笑しかった。

新曲を何曲か披露したライブとなる。
その中の1曲に全員集合 de SHOW!という曲があった。
僕の子供時代の歌で、バブル期の80年代を歌った。
土曜日の夜8時。
きっとそう言えば同世代の人には分かるのではないかなと思っていた。
あの番組のことではないかと。
この曲は、8時だよ全員集合というドリフターズのやっていたテレビ番組のことを歌ったナンバーだった。
毎週毎週公会堂みたいな場所で生番組として放送されていた。
調べれば何処が会場だったか分かるだろう。
懐かしい思い出だった。

8時だよ全員集合。
日本国民の合言葉みたいなものだったのかなと、今になってそう思う。
現代は昭和の頃と比べると、ネット等で皆個々人の趣味の時間を過ごすことが多いだろうから、きっと皆で同じ何かを共有することは少なくなった部分があったように思っていた。
ドリフターズのあのショーは本物だった気がする。
誤魔化しの効かないであろうライブで、人を楽しませ笑わせていたのだから。
バンド演奏は生楽器を使っていたのではないかなと思う。
そうだとすれば贅沢な時代だったなと思う。
バブル期で番組の予算に余裕があったからなのかなと思っていた。
シンセサイザーは素晴らしい音楽効果を発揮するのだろうけど、生楽器の持つ温かみや誤魔化しではない本物の楽器から生まれるサウンドの普遍性みたいなものをあの時代のバンドには感じる気がしていた。
劇も音楽もそういった要素に満ち満ちていたように思う。
CG等のテクノロジー技術の進歩が、人間業の退化を促して来た気がしていた。
音楽もシンセサイザーの魔法により、簡単メイク化したサウンドには人間を深く安らがせてくれる音色が消え去って行ったのだという気がする。
生楽器でのシンプルなバンド編成の持つパワーってあるのだろうなと思う。
フレンチトーストでやっているのは、そういった音楽性だったかなと思う。
たぶん究極的には、このスタイルが最強のバンド編成なのかもしれないと思った。
勿論、色んなバンド編成のそれぞれに魅力はあると思っていた。
今僕に実現出来るスタイルとしては、かなりベストであったことは確かだったのかもしれない。

全員集合 de SHOW!を演奏する前に、80年代の土曜日の夜8時といえば何を思い付くかお客さんに問い掛けてみた。
すとる直ぐに、全員集合?と思い付いたことを声に出し反応が返って来た。
はやり8時だよ全員集合は、あの時代に皆のお楽しみ的な番組だったのかなという気がする。
経済成長の最中で、物質的な1つの価値観に従いこの国はある意味では上手く行っていたのだと思う。
だから共通認識出来るテレビ番組もあったということのように思っていた。

だが、その一方では既に何かが失われていたのだろう。
その結末については、現代を生きる僕らが生き証人として毎日ニュース等で目の当たりにしている通りだった。

消費増税
改憲
モリカケ問題。
桜を見る会
伊藤詩織さんのレイプ事件。
嘘ばかりの政治。
轢き逃げ事件。
沖縄の基地問題
原発再稼働。
etc…

ぐちゃぐちゃだった。
もう古い体制への僕ら自身の依存を手放さないといけない時に差し掛かっていたように思う。
311以後のこの社会は、原発利権にしがみ付き脱原発への道を拒み続けた。

金。
出世。
名声。
財産。

311以後早期に脱原発へと舵を切っていれば、今頃はだいぶまともな社会になっていたような気がする。
もう直ぐ2020年がやって来ようとしていたけれど、この国は一向に前進しなかった。

桜を見る会について、大人しい国民も流石に今は現政権への疑問を多く口にし意思表示をするように変わって来ていた。
古い体制の在り方に対して、国民の不満は募り極限値を迎えたように僕は感じていた。
苦しい生活を救ってくれない政治に対して、国民は立ち上がり、自分達で何とか問題を乗り越えなくてはどうにもならないと実感し始めていたのだろうなと思っていた。
僕も含めての話だった。
僕がフレンチトーストのライブを頑張って行って行くことは、その民意の流れと同じことを意味していることのように思っていた。

今あるこの国の問題の全ては、戦後の繁栄と引き換えの代償だった。
その問題を乗り越えて行く為に、例えばドリフのことを歌う。
痛みを乗り越える為には感謝がなければならなかったように思えていた。
だから幸せだった想い出を温かな気持ちで歌いたかった。

フレンチトーストには、SCRAP MOUNTAINの黄昏という曲がある。
全ての想い出はその曲へと辿り着く。
そういった曲だった。
この日のライブで演奏していた。
ひかる君もきはぴーもこの曲はいいと感じたみたいだった。
この日が2度目の演奏だった。
最初に演奏したのは、この日のライブのひと月程前である11月10日のふれ愛ランドでの野外ライブの時だった。
凄く長い時間軸で切り取り、歌詞の内容を作っていた。
昭和の戦後から平成迄丸ごと含んだ、2つの時代をまたいでの歌だった。
かなり難しいテーマの歌だったけれど、ひかる君やきはぴーといった現代を生きる少年達にも何かが伝わっていたのかもしれない。
それが本当だとすれば、それこそが音楽の持つ素晴らしさだったのだろうなと思う。

ライブは予定していた曲を順調に演奏して行き、あっという間にステージは無事終了迄辿り着いた。
きはぴーのカホンの指導役をドラマーのひかる君に任せていて、今回のライブではだいぶ上達して音のバランスが良くなっていた。
歌の伴奏としての演奏が、少しずつ上達中のきはぴーだった。
ライブ中盤の頃だったか、遅刻組のお客さん達が姿を現しライブに参加して下さった。
そんなフレンチトーストライブとなった。

ライブ後には、ライブをした奥の部屋から入り口の扉のあるメインルームに移動して少しギターを弾きながら歌い、歌の伴奏としての楽器の弾き方について僕の解釈をひかる君ときはぴーに伝えた。
普段やっている弾き語りを言語に置き換えながら解体して、何故そう演奏しているのかについての説明をした。
細やかな演奏のニュアンスがあることに気付き表現力を磨き、技術を身に付けるには何十年も修行をしないとたぶんなかなか難しいことだと思うので、こんな風に直接音楽談義をする時間を僕よりもずっと下の世代になるバンドメンバー達と持てることに小さな歓びを感じていた。
直接教えることが出来たら、彼らが無駄な回り道をしなくて済むと思った。
ミュージシャンとしての彼らの成長の助けになれていたとしたら、嬉しい話だと思った。

前回のFRENCH TOAST de SHOW!同様に、僕としてはかなり不本意なライブになったけれどお客さん達はそれなりに楽しんでくれていたのかもしれない。
ライブのリピーターになってくれている人達が何度もお見えになって下さる訳だから、こんなに有り難い話はなかった。
音楽がつまらなければ人は離れて行く。
それは仕方のないことだと思う。
僕がやるべきことは、誇りを持ってステージに立ち歌えるという状態であれるように努めることなのだろうと思っていた。

FRENCH TOAST de SHOW!は、細々ながらではあるがどうにか軌道に乗った感がある気がしていた。
あとはひたすら多くの方に聴いて頂けるように、数多く開催して行くように努めようと思っていた。


日本には今、ホッと出来るようなものがない。
ホッとするというのは、本当のことが語られた上で優しい感受性に寄り添うような雰囲気があるかどうかに関係している気がしていた。
誤魔化して明るさを繕ってみても、安らぎはもはや得られない時代になった気がしていた。
嘘があるとホッと出来ない。
当たり前のことだった。
素晴らしい音楽とは嘘がないことでもあるように思う。
技術的なことではなく、まずその精神があるかどうかが重要な要素だと思う。
だからミュージシャンの生き様が良くなければ、素晴らしい音楽にはどうやってもなりようがないということになる気がする。
だから芸能界に依存していたのでは全く駄目なのだ。
歪んだ社会構造の中で、ミュージシャン自体も音楽も段々駄目になる。
僕はそう思う。

日本よ 今日は元気ですか?
僕は皆様の幸せを願い歌っています

僕はエンターテイメントに希望を託し夢見ていた。
冷めかけたコーヒーを飲み干すと、家路に着く為夜の闇の深さが次第に増してゆく街へと出て行く準備を始めた。
タクシーを呼んでやって来るのを待ち時間が流れる。
ひかる君ときはぴーは、僕がきららカフェを後にする時迄帰るのを待とうとしている様子だった。
なので、僕の帰りの時間を待たずに帰ってもいいことを伝えていたことを記憶している。

タクシーが到着して外に出ると、ひかる君ときはぴーがまだいた。
彼らはきららカフェへ自転車で来ていたようだった。
薄闇に包まれた風景の中に、ひかる君達が停めたらしき自転車が見え帰り支度をしている様子だった。
きららカフェの前の道路脇に停車しているタクシーに向かい歩きながら、ひかる君ときはぴーに別れの挨拶をした。
タクシードライバーがタクシーから外に降りて来ていて、僕がタクシーに乗り込む際の手伝いのサービスをしてくれていたような記憶がある。

ひかる君ときはぴーに別れの挨拶をした後で、僕やひかる君やきはぴーの見送りに出てくれたカフェのママさんに挨拶の言葉を伝えたのだろうか。
それともタクシーの中から手を振って別れたのだうか。
僕とひかる君ときはぴーを見送ってくれていたママさんの姿があったことは記憶していた。
マスターはいただろうか。
バタバタしていて、マスターご夫妻とのその日のお別れのシーンの記憶が曖昧になり思い出せなかった。
もう何度こうしてきららカフェから家路へ着いただろう。

ひかる君ときはぴーとのさよならに、少年の頃のような気持ちになった。
現代を生きる少年達である純粋な彼らとの触れ合いの中で、僕の透き通って行くような心は軽やかにあすを歌い出しているようだった。

そんな皆とのさよならをしながらだったのだろうか。
これも記憶が曖昧だけど、どのタイミングでだったか僕がタクシードライバーに告げた行き先に向かいタクシーは走り出していた。
僕はタクシーの後部座席のシートにもたれながら、まだライブの余韻が濃く後を引くような熱い思いを抱えあすを夢見ていた。


■ライブ告知
第12回 FRENCH TOAST de SHOW!
日付 2020年1月19日
会場 きららカフェ
OPEN 12時30分
START 13時
入場料 ¥1000(コーヒー付き) 中学生以下無料

第13回 FRENCH TOAST de SHOW!
日付 2020年1月26日
会場 きららカフェ
OPEN 12時30分
START 13時
入場料 ¥1000(コーヒー付き) 中学生以下無料

 

FRENCH TOAST de SHOW! 2019.12.15
演奏曲
1 MY WAY 夢遥か
2 BLUEな時代にSWING JAZZ
3 AFTERNOON LIVE
4 人生に幸あれ
5 旋風
6 窓際係長
7 全員集合 de SHOW!
8 母のバラード
9 PANDORA
10 SCRAP MOUNTAINの黄昏
11 ALL JAPAN
12 雨の日もSTEP
13 風になりたい
14 歌を友に人生の道のりを
15 野に咲く花のように
16 素晴らしき人生を
17 OH THANK YOU OH GOODBYE