スケジュールに花束を

バンド、フレンチトーストのブログ。広島の明王台という団地にあるきららカフェで、2014年春にすがわらよしのりとマスターとで結成したフレンチトーストのストーリーを伝えます。

神風

このブログ記事は僕がやっているFacebookに投稿した内容です。

 

 

お久しぶりです。

今日はYouTubeに投稿した先日行った僕がやっているフレンチトーストというバンドの戦中お見舞い申し上げますというタイトルのライブの映像と共に、神風というタイトルの散文をご紹介致します。

ライブ映像は課題がありやり直したい部分を少しカットし編集してあるので、実際に行った演奏通りではありません。


www.youtube.com

 

 

神風

 

神風仰ぎし丸の内の空

戦中お見舞い申し上げます

 

 

西暦2000年を越えてこの国は戦前に戻って行ったかのように思っていました。

 

今僕は一体何を歌うべきなのか

 

2022年。

僕は自分のやっているバンド、フレンチトーストの「戦中お見舞い申し上げます」というタイトルのニューアルバムを制作しました。

レコーディングの予定は今の所ありません。

厳密に話せばアルバム制作はまだ完全には終わっていないのですが大方は完成していて、残りの作業はまたやって行こうと思っているのですが取り敢えず早くライブをやってみたくて次にアルバムに収録予定曲で構成したコンサートを開催しました。

会場はMUSIC FACTORYさんをお借りさせて頂きました。

長きコロナ自粛生活後、ようやくのライブ活動再開となりました。

 

お客さん達は来て下さるだろうか。

僕は不安に思っていました。

ジャパニーズスタンダードとは随分はぐれてしまっていた生き方をしメッセージソングなどを作り歌っていたので、共感より反発の方が大きく返って来るかもしれないという思いが幾らかあったように思います。

結局お客さんは1人だけ来られ、その方は忙しかったのか途中で帰られました。

どういった理由からなのか分からないのですが、今迄たぶん割合関心を持って来て下さっていたのではないかなと思っていたお客さん達が集まらないライブとなりました。

僕は今日の自分に出来ることをやるしかありませんでした。

ライブを自分のiPhoneで撮影したので、映像作品として残すことが出来ました。

この日のコンサートの前に、1回既に明王台にあるきららカフェさんでコンサートを開催しています。

なので今日YouTubeで紹介しているコンサートの映像は戦中お見舞い申し上げますというタイトルの2回目のコンサートになります。

1回目のコンサートも、今迄来て下さっていたたぶん割合関心を持って来て下さっていたのではないかなと思っていたお客さん達は理由は分かりませんが集まらず1人だけでした。

その他のお客さんは数名おられました。

カフェのご近所さん達がメインのメンバーで、以前にもライブに来てくれていた方がおられました。

住まわれている家の近所のカフェでライブが開催されるということで、たぶん気楽に楽しみに来て下さっていたのでしょう。

僕の行うライブにたぶん熱心に来てくれていたという訳ではなかったように思うのですが、ライブに関心を持って下さり来てくれて有り難い話だと思っています。

 

アルバム制作から始まりコンサート開催に至る迄の取り組みは、2022年にやり遂げた僕のミュージシャンとしての大仕事となりました。

今後のコンサート開催は今はまだ未定です。

今日YouTubeで紹介したコンサートについての詳しい話や現在ソロ活動を離れ行っているフレンチトーストの活動についてはフレンチトーストのブログ「スケジュールに花束を」で紹介していてそこで情報を得ることが出来ますのでお知らせさせて頂きます。

 

メッセージソングは必要とされない時代が長きに渡って続いて来ました。

吉田拓郎さんの結婚しようよがリリースされた頃から、その流れはいまだ続いていたように感じていました。

流行を追っては来なかったので本当の所は詳しく知る訳ではありませんが。

 

 

70年安保後。

人々は社会的に抗ってみても敗北し無駄なことをすることを諦めたように思います。

それがどんなに本当は人間として1番尊く大切にしなくてはならないものであったとしても、この社会で上手く生きて行く為に止むを得ず切り捨てて来てしまったのだと思うのです。

きっとそれは僕達にとってのとても深い悲しみになっていたことでしょう。

 

社会システムの中で鬱屈とした感情を抱え、奥歯に物が挟まったような物言いをしながら他人の顔色を伺わなくては世渡りがなかなか難しい社会であったように思います。

感情的抑圧は社会にいじめを生んで来たと思います。

人は非常にか弱く、強くなければ本当の優しさは持てないもののような気がします。

互いに小馬鹿にし合いながらからかい合い、そして生きる為に寄り添い愛し合って来たような何だかそんな暮らしだった気がします。

それは例えば現代のお笑いのノリツッコミにも現れていた気がする。

仲間達とからかい合いながら馴れ合うような習慣が定着してしまっていたような気がする。

互いに尊敬や敬いの心で向き合うなど、武家社会の時代の過去の日本人の精神となり礼節なき時代が続いて来たような気がします。

僕達は一体いつからそんな風になって来てしまったのでしょう。

 

明治維新

終戦の日

70年安保の学生運動の敗北。

 

その頃、僕達日本人は様々に大きく生き方を変えて来たのでしょう。

近代の日本社会では社会的に上手く行かないことを人々はやがてダサいと嘲笑うような風潮に次第に流されながら、ノリと軽さが最重要視されたような80年代をバブルと共に駆け抜けて行った印象が僕の心には色濃く今も残っています。

社会で許容されないことを切り捨て、上手くシステムに順応することが学校教育の最重要テーマとして戦後掲げられ実施されて来たとように思います。

その価値から食み出す者を時代は常に叩き潰そうとして来たように思います。

これは同調圧力についての話です。

 

70年安保の学生運動の敗北は、僕達の暮らしからきっと生きて行く上で見据えるべきものを完全に剥ぎ取ってしまったのではないかと個人的にそう考えています。

つまりは生活の為にするべきことに極端に幸せの価値観の比重が移行してしまい、物質的豊かさこそが幸せだときっと思い込んでしまったのでしょう。

そして現在の社会全体のまるで学級崩壊状態を生み出す迄に至ったような気がします。

見据えるものがなければ社会は結束しないのではないでしょうか。

生憎その結束感のなさが社会を一極化させない歯止めにも働いていたのかもしれません。

一極化はバランスが悪過ぎて良いことではないように思います。

怪我の功名ということもあり、一体何を良しとするのか難しい話を語っているのかもしれません。

 

 

令和の時代になり、コロナパンデミックという名の謎めいた戦中の暮らしがもう数年の間続いて来ました。

僕は戦中お見舞い申し上げますというタイトルの全20曲入りのアルバムを制作しコンサートを開催し、コロナ自粛後のライブ活動再開を無事やり遂げひとまず安堵している所です。

 

僕はこの国に真の民主主義が根付き成熟して行く遥か未来を見据えながら、歌を作り歌っています。

 

 

この国は神風の国です。

2次世界大戦に敗北し天皇陛下による玉砕放送が流された焼け野原の街で、僕達は戦争責任を自らに問う間もなくアメリカにより与えられた民主主義の名の元に新しき時代へときっと直ぐに踏み出してしまったのでしょう。

憲法9条の破棄だとか、故郷の広島が泣いています。

コロナワクチン接種推進は、まるで神風信仰の如くだと個人的に感じて来ました。

それが正しい間違いであるかを議論し争いたい訳ではありません。

お医者様などでもない僕には化学的な根拠を挙げ提示し証明してみせることはまるで出来ないのですから、偉そうに物を言える立場にはないと思っています。

ただ思うのは、人々が自由に自らの思想について語ることの出来ないような妙な時代の空気みたいなものについてはNOを叫ばなければ不味いということを切に思います。

人間として自由な思想を持つことを制限されて行くような、この社会に根強く染みついたような同調圧力の存在がとても恐ろしいのです。

これは真の民主主義の成熟とは真逆の誤った流れだと思います。

基本的人権が奪われているのです。

そしてこれは、今も尚続いている忌まわしき神風信仰の継承であると感じているのです。

 

僕らの抱えた暮らしは不思議です。

インターネットの普及によりその気になりさえすれば誰でも真実と思える情報を幾らでも得られる時代なのに、日本社会的に合わない情報には僕らは無自覚的にバイアスを掛けて切り捨てているように思えていました。

日本社会の現実の中で上手く行くことを正しいと認知する習慣が、徹底的に人々の心深くに染みついているように思えてなりません。

70年安保の学生運動の敗北に端を発した生き方の流れなのでしょうか。

世界の現実から目を反らし、情報鎖国状態の中に自ら無意識的に埋没し変わらないでいることで偽物の安心を得ようとしているかのように思えていました。

そして日常的に小さくいじめ合いながら心のガス抜きをしているかのように感じていました。

 

大切にしたいのはまるで子供のような素直さに宿る感みたいなものだと僕は思っています。

感と言っても当てずっぽではなくて、不自然さに対する感性の話です。

大人になると知識に頼りがちになり、感が大抵麻痺して働き難くなるもののような気がします。

細やかに不自然さを捉えられるようになると、物事の本質から意識がブレ難くなり危険回避の為に働く精妙なセンサーの役割を果たすのだろうと思います。

人為的嘘というものは必ず不自然さを纏っている筈だと思っていて、感性が生きていればかなり容易にその不自然さをキャッチすることが出来るのではと思っています。

不自然は本来誰に取っても心地の良い状態ではないものではないかと思うので、感性が生きてさえいればきっと自ずとその状況を回避する生き方を選択するようになるのだろうと思います。

知識は持たずとも真実を見抜く力が感にはきっとあるように思います。

これは学校教育プログラムにはたぶん余りなく、個人で気付き実践出来る人は少ないような気がします。

残念です。

社会的には感性の豊かさは大抵邪魔になるので、自分の心を捨てるように方向付けられた教育を施され僕らは大人になって来ました。

2次世界大戦後に小さな島国の中アメリカのかさに守られた暮らしを続けて来る内に、日本人は完全に家畜化され井の中の蛙大海を知らずという状況に至っているものと考えています。

自発的に感じ考え行動することが出来なくなってしまったのだろうと思います。

アメリカサイドの洗脳教育の圧勝という所でしょうか。

 

たぶんこの国はそのことを認め始めるしかないような気がします。

どんなに道のりが果てしなく険しくて長いものだとしても。

僕はこの国の大空にフェニックスが翼を広げ舞うことを願っています。

その為に2022年から僕は未来へと語り掛けるように歌いたかったような気がします。

 

 

生きて行く上で見据えるべきものを失くしたこの国は、もはやかつての経済大国の面影を留めることは出来ず人によっては3流国だと言われていると思います。

何だかとても残念で悔しい気持ちです。

 

東京では駅で人が倒れようと、もう誰も足を止めないとの情報を得たことがあります。

何をするのが正しいのかではなく、何をすることが社会で上手くやれることなのかに幸福の価値観がすっかり傾いてしまったということを見事に物語るまるで象徴のような話だと僕は思っていました。

 

 

神風仰ぎし丸の内の空。

軍服は背広に取って代わり、昭和20815日の終戦の日は今も尚ストップモーションのまま気不味い再生を継続しているかのように思えてなりません。

神風に吹かれ揺れた、焼け野原の街に咲く名もなき小さな花にどうかささやかなる幸せよあれ。

 

日本国民の皆様、粗品ですがこの歌を手紙に代えてお贈りします。

どうかお受け取り下さい。

 

戦中お見舞い申し上げます。

 

    フレンチトースト 菅原ヨシノリより

 

 

フレンチトースト CONCERT

2022 戦中お見舞い申し上げます

11.3 MUSIC FACTORY

1

演奏曲

1 夕凪来る頃

2 戦中お見舞い申し上げます

3 コバルトブルーの涙

4 日本一の母への手紙

5 THANK YOU BERRY MATCH FOR MY FRIENDS

6 片想い

7 神風警報発令中

8 51番目の州

 

2

演奏曲

おとぎの国劇場

9 百姓一揆

10 月見酒ポンポコ

 

11 南風

12 ミステリーのエピローグ

13 折れないHEARTTOUGH GUY

 

 〜ドラムソロ〜

 

14 HEARTFULSMILELADIES END GENTLEMAN

15 今日のこの日を忘れない