スケジュールに花束を

バンド、フレンチトーストのブログ。広島の明王台という団地にあるきららカフェで、2014年春にすがわらよしのりとマスターとで結成したフレンチトーストのストーリーを伝えます。

戦火燃ゆる

2022年ももう後残す所2日程となりました。

振り返ればあっという間の1年だったなと思います。

皆様にとって2022年はどんな1年だったでしょうか。

もしも苦労することがあったとしても、最後に実りある1年だったと思えたらいいですね。

 

今日は僕が2022年のフレンチトーストの活動を足早に振り返った散文「戦火燃ゆる」と、YouTubeに投稿していた戦中お見舞い申し上げますという曲の今年102日のきららカフェでのライブ映像を紹介します。

 

 

 

戦火燃ゆる

 

心のキャンバスを彩る1枚の情景。

その風景の語り掛けて来る意味を辿るように、戦中お見舞い申し上げますと歌った2022年を今足早に振り返る。

 

 

今年制作して来た戦中お見舞い申し上げますというアルバムについて語りながら、この1年を静かに回想してみたいと思う。

 

アルバムのモチーフとなっていた母の戦争体験記。

昔話として我が街の歴史に刻まれていた福山空襲の様子が僕に伝えられていた。

B29の投下する焼夷弾の雨の中を掻い潜り生き延びた母の姉。

奇跡の少女だった叔母はもうこの世にはいない。

 

 

叔母はコロナワクチン接種後に血栓症を患い体調を狂わせた。

コロナワクチン接種との因果関係はいまだはっきりと社会的に認められてはいなかった。

外国の医師達の研究で、もうとっくにコロナワクチン接種が血栓症を生むことは証明されていたというのに。

日本の医師の中にもこの事実を突き止めた人がいて訴えていたが、社会は無視しているようだった。

超現実から目を背ける日本社会。

国民総崩れの玉砕のエピローグを綴っているかのような経済戦争の黄昏。

 

母の姉である叔母はきっと戦死だ。

余り親戚付き合いがよく出来てはいないので推測としての話になってしまうのだが、誰もそのことについて気付かないからか語られてはいないのかなと思っていたがたぶん間違いないように思う。

2度の戦中を生き、昔奇跡の少女だった叔母に2度目の奇跡は起きなかったということか。

 

 

母は疎開先から父の腕の中に抱かれ、戦火に燃ゆるふる里の街の空を見つめていた。

当時4歳だったという。

妹は母に抱かれていた。

そして母の姉である叔母は、小学校に通う為に1人実家の側の本家に残っていた。

昭和2089日のこと。

 

母の語る戦争体験記から伝わって来た、戦火に燃ゆるふる里の街の空。

その情景が僕の中でコロナの今の時代にリンクした。

戦死だと感じた叔母の人生の終焉の物語が、僕の心の中に現代版の戦中の世をリアルに浮かび上がらせる役割を決定的に果たしたということだったのかもしれない。

 

 

今年の前半戦。

いい曲を作りたいと願い纏まった曲数を鼻歌で作曲し、メロディーをスマホで録音し残していた。

なかなかいい曲が出来ていたように思っていたが、どうしても今歌わなくてはならない必要性を感じていなかった。

 

2022年。

年男だった僕は、縁起の良さそうなこの1年に何かを成したいと意気込んでいた。

そんな最中、4月に叔母が突然亡くなる。

僕と同じ寅年生まれだった叔母は、81日の誕生日を迎えれば84歳になる筈だった。

まだまだ元気だった叔母。

体のどこかを酷く患っているということはなかった。

 

叔母の他界という出来事が、僕が戦中お見舞い申し上げますというアルバムを制作しようと思った動機をもらたしたのだと思う。

5月の終わりか6月位から制作を開始した。

食事もおろそかにして、かなり無理をして急ピッチで全20曲を纏めて行った。

全生活を自分1人でこなし、おまけにメンタル的にも不安定でキツさを感じていた。

そんな中何かを犠牲にしなくてはアルバムが作れない状況があり、止むを得ず生活の基本である食事時間等を削ってしまった。

 

寝ても覚めても音楽音楽。

音楽熱に取り憑かれていた僕は、少年の頃からずっとこの調子だった。

 

78月はコンサートをしたいとリハーサルに励んでいたと思う。

9月に入りコンサートをしたかったが、街にあるライブハウスをコンサート会場として借りようと動き出したのが8月で契約に時間が掛かり113日にライブ開催が決定した。

コンサートの活動開始が自分の希望時期より随分遅れることとなる。

街のライブハウスを借りてのライブ開催は、常にそんなものだったのかもしれない。

お客さんが来てくれるかとか、ライブハウス側や僕自身の都合等あらゆる条件をクリアして行く過程を経る内に時間はあっという間に流れて行った。

 

本当に久しぶりとなるフレンチトーストコンサートの開催だった。

コロナ自粛中につき、僕はソロでも当分ライブをやってなかった。

お客さん達が来てくれるのか、SNSでやり取りしていたが反応がかんばしくなかった。

街のライブハウスでのコンサート開催は、経費がかなり必要だった。

お客さんが集まらず、これは相当赤字での開催になるのかなと予想していた。

それでもいい。

言いたいことを歌にしてコンサートをやっておきたいと思った。

お客さんが着いて来るか来ないかは僕にはどうすることも出来なかった。

 

コンサート開催に当たり、フレンチトーストのメンバーにライブに参加するかどうか久しぶりに連絡を取る。

きららカフェのマスター以外は参加が決定した。

マスターと電話でやり取りしていると、またギターを持って遊びに来てと声を掛けてくれていた。

マスターの本業の建築の仕事が調子が良くて、きららカフェはもう営業してなかった。

マスターからカフェで生計を立てるのは難しいという話を聞いていた。

そんな経緯からマスターは本業の建築の仕事に専念されていた。

僕はマスターの仕事の邪魔をしないようにきららへは行かないようにしていたのだが、マスターがまた遊びに来てと誘ってくれて思わぬ話の展開となる。

フレンチトーストストーリーは、また新たな物語の続きを綴り始めるようだった。

 

マスターとの電話の会話の中でのひょんな話の展開から、10月2日にきららカフェでフレンチトーストコンサート2022戦中お見舞い申し上げますの初演が実現することとなった。

きららカフェといっても、以前のカフェは違った用途で使用されていた為に隣のマスターの設計事務所だった部屋で開催した。

今はマスターご夫妻の娘さんの旦那様がオーナーを務めるガーデンズガーデンというお店のフロアにリフォームされて様変わりしていた。

マスターご夫妻も一緒に働かれているようだった。

仕事が関連していて影響し合っていたようだった。

102日のライブのお客さんは、もう1年位前からライブを聴きたいと言ってくれていた方と後カフェのご近所さん達だった。

ライブを聴きたいと言ってくれていた方の仕事の休日に合わせ突然のライブ決定となっていた。

慌ただしいライブ前となりバンドメンバー全員に連絡を取り打ち合わせたりする精神的余裕が僕になかったので、初期のフレンチトーストのマスターと2人でのアコースティックユニットというバンド編成での開催となった。

コンサートはなかなか良いものになったと思う。

解決しなくてはならない課題が見つかり上手く行かなかった曲もあったが、全体的に合格点をつけても良い仕上がりになっていると思った。

 

その後、113日にお世話になる予定の街にあるミュージックファクトリーというライブハウスであったSDGs音楽祭というライブイベントに参加させてもらいミニライブをした。

長年お世話になっていたクリニック主催のイベントで、ミュージックファクトリーのオーナーから参加しないかという話が来て誘われたことをきっかけに出演させてもらうことに決めた。

このライブはソロとして行った。

僕のライブ目当てで来ていたお客さんがいたとしても僅かだったと思う。

 

 

そして113日のコンサート開催日を迎えた。

蓋を開けてみればお客さんは1人だけだった。

そのお客さんもライブの途中で帰られた。

忙しくされている知人だった。

たぶん用事が出来たのかもしれない。

SGDs音楽祭でのミニライブも113日のコンサートも僕の中で全体的に出来は合格点をつけて良いと思えるものだった。

ただお客さんが集まらないライブが続いた。

コロナ感染予防の為参加を控えたということだったのだろうか。

今迄来てくれていたお客さん達と細かなコミュニケーションが取れている状況にはなく、お客さんが集まらなかった理由が分からなかった。

単に僕の音楽が必要とされていないということだったのかもしれない。

僕にとってその1番寂しい状況であったかもしれにいということも含め受け止めて行くしかなかった。

 

 

アルバム制作から始まり、コンサートのリハーサルを終える迄の長い孤独な時間。

コンサートを計画して街のライブハウスと契約を取り付け、バンドメンバーとの打ち合わせを経てのコンサート開催。

沢山のハードルを超えてのコンサートだった。

かなり無理をして来て、僕は自分で思っていた以上に疲れていた。

ろくに食事も摂らず、結果ダウンしてしまう。

当然といえば当然の代償だった。

 

12月はひたすら療養の日々だった。

病院に通い、音楽所ではない暮らしだった。

48歳の年男としての1年がもう直ぐ終わろうとしている。

次の寅年が来たら僕ももう還暦なのかと、振り返れば人生はとても早くて短いものだなと感慨に耽る。

社会的な場で人々が作品に触れられるような形として、結果になかなか結び付けて行くことが出来ていないと思う自分の表現活動の現実に焦りを感じている僕がいた。

作品を発表するにも、それなりの物を作ろうと思えば資金が必要だった。

そんな金銭的問題や様々な現実的問題やメンタル的問題に取り巻かれながら、自分が表現したいものをどこ迄形に残し社会に伝えて行くことが出来るだろうかと人生の残り時間を思い考えていた。

死んでから作品が評価されメッセージが伝わることがあるかもしれない。

それはそれで良いかもしれないが、インターネットの時代だし昔とは違って表現者の残した作品が世界に知られ評価される時間はそんなに掛からないかもしれない。

自分がミュージシャンとしてまた1表現者として、社会的に何らかの役に立てたらいいなという思いがあった。

願わくば生きている内にそうなってくれた方がいいと思うのは人間の性だったのかもしれない。

音楽を通して言いたいことを表現したという意味では、今年は合格の年に出来た気がする。

日本社会や時代とは解離しまくっていたかもしれないが。

世の中が僕の音楽をどう評価するかについては、僕にはどうすることも出来なかった。

そこはなるようになれといつも思っていた気がする。

 

 

この日本社会は一体どうなって行くのか。

コロナワクチン接種による深刻な被害について、ようやく世の中が気付き騒がしくなって来ていた2022年師走。

芸能人が若いのにやたら亡くなっていた。

普通に考えてあり得ない状況だった。

コロナの死亡者数が公表される。

いやこれは違う。

大方の数字が、きっとコロナワクチン接種によるコロナ関連死者数というべきものではないだろうか。

僕らが受けている一般教養なんて、たぶん間違いなくデタラメだらけなことが多かったのだろう。

ワクチンが命を守る為に開発されているなんて保証はなにもなかった。

陰謀論だと囁かれていたことの実態が段々と明かされて行く。

そんな陰謀を企てても余り儲け話には繋がらなさそうなら、それをやる根拠はなさそうだ。

じゃあ陰謀じゃないんじゃないのかな。

それよりワクチンバブルの方は本当に儲かる。

陰謀論を企てる意義や根拠は沢山ありそうだ。

そっちの方が浮き世では、相当に高い確率で陰謀が働いてそうな話なんじゃないのかな。

 

コロナワクチンがまるで街の上空を舞うB29の襲来のように時代を覆い尽くす。

神風が時代に吹けば、改憲の話が浮上し赤紙の交付と変わりのないような強制を体制側が国民に強いる構えを見せている。

福島第1原発事故後の後始末も出来ない国が、原発推進を更に続けて行くという狂気の決断を下す。

政府やメディアがやたら防衛力強化を騒ぎ出し、コロナの次は何の為の恐怖による煽動が始まったのかと考えていた。

侵略は恐ろしいが、それ以前に政府やメディアのやっていることが恐過ぎた。

 

 

どうやってももう叔母は帰っては来ない。

SNSをやっていると叔母みたいにコロナワクチン接種後に体調を狂わせ亡くなって行く人がわんさかいた。

特別なケース等ではなく明らかに、かなりの高い割合でコロナワクチン後遺症による体調不良が社会には溢れ返っていた。

コロナによる体調不良だと混同した認識のままで。

素人目にもそれはたぶん違う。

コロナワクチン接種後に身近な人が亡くなってしまったら、流石にコロナの死亡者数について誤認があったのではないかと気付く人はきっと多くなり、考えを改める機会となって社会的洗脳であろうと思われる状況にまかれ生きていられなくなる人は多かったのだろう。

 

そしてこのグチャグチャなカオスの社会は、バブルの頃からずっとこのままで何も変わってなどいなかったんだ。

ただはっきり姿を現したに過ぎなかったと思う。

 

 

僕は2022年という年男だった1年を足早に振り返り、心には母の昔話として聞いた故郷の戦火に燃ゆる赤き空が空襲なき戦火の日々の続く現代の街の空と何だか重なって見えていた。

 

 

 


www.youtube.com

戦中お見舞い申し上げます

Words & Music by Yoshinori Sugawara

 

西暦2千年を超えてこの国は戦前に戻って行った Oh Yeah

僕らは牙折られたライオンみたいだ

Mh Mh  Mh Mh Mh…

この国は Ah やり直せるだろうか Ah

フェニックスよ きっと大空舞う Wow Oh Wow Oh Oh

戦中お見舞い申し上げます

粗品ですがどうぞお受け取り下さい

 

疎開し季節は巡る 空襲 ワクチン B29の再来 Oh Yeah

時代に神風吹けば赤紙かな改憲

Mh Mh  Mh Mh Mh…

遥か故郷 Ah 戦火燃ゆる Ah

乳飲み子抱いた母と赤き空 Wow Oh Wow Oh Oh

戦中お見舞い申し上げます

皆様どうかお元気で この歌手紙に代えて歌うよ

 

戦中お見舞い申し上げます

粗品ですがどうぞお受け取り下さい

軍服背広に 丸の内 神風仰ぎし空