スケジュールに花束を

バンド、フレンチトーストのブログ。広島の明王台という団地にあるきららカフェで、2014年春にすがわらよしのりとマスターとで結成したフレンチトーストのストーリーを伝えます。

2019 くれ福祉まつりLIVE終了

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2019 くれ福祉まつりLIVE終了


今日のこのブログは、先月27日に呉市天応ポートピアでライブをした後書きためたままアップしていなかったブログ記事です。

 

27日の日曜日に呉でライブをして来ました。


フレンチトーストの他のメンバーは参加せず、僕1人でのライブとなりました。
今回のライブはささやかなミニライブでした。
呉市天応ポートピアという場所で行われたくれ福祉まつりというイベントでのライブで、会場には沢山のテントが立ち並び、催し物ありバザーありと賑わいを見せていました。
呉市天応ポートピアは、元々遊園地だったようです。
遊園地の乗り物を撤去した際の跡のようなものを見掛けました。
僕は初めての訪問だったと思います。
もしかすると子供の頃に行ったことがあったということも考えられますが、記憶には残っておらずたぶん初訪問だったと思います。
絶好の晴天に恵まれた日曜日となり、秋の爽やかな天候の下で気持ちのいい午後の時間を過ごすことが出来ました。


ライブの話をします。
くれ福祉まつりにご来場されていた方達にライブを聴いて頂くという路上ライブ的な形式になりました。
たまたまその場に居合わせた方がライブを聴いて下さいました。
久しぶりにストリートライブをしたような懐かしい1日となりました。
若き日の僕の辿って来たインディーズミュージシャンとしての原点的なライブ形式で、ライブをするには環境的にかなり厳しいものがありました。
ぶっちゃけるととてもギターの弾き語りを聴いて頂く環境ではなくて、周囲の音の大きさに生音を掻き消されるといった大変な状況の中でのライブでした。
今回のこのイベントへの参加を僕に呼び掛けて下さった方は、青少年育成アドバイザー協議会の内山さんという男性でした。
内山さんも当日現場に行ってみなければどういった状況になるのか分からず、ライブを企画されるということについて未経験だったということもあったと思いますし、実際にライブをやってみて初めて感触を掴まれたのだろうなと思います。
お祭りですので、周囲からはスピーカーから流れる大音量の音楽や場内アナウンスに行き交う人々の話し声などが入り乱れていました。
マイクやギターアンプを通さないとなかなか生音ではライブが成立しない状況だったなと思います。
それでもわざわざ僕のライブを企画して下さるというご好意が大変嬉しかったです。
インディーズとして活動する無名ミュージシャンの僕なので、歌える場所は限られています。
なのでとても有り難かったです。
自分の演奏自体は、ベストを尽くせて悪くはなかったと思っています。
ライブの聴こえるごく近くにいた方達は、暖かい拍手を送って下さっていました。


以前にもブログ記事にしたことのある内容の話になると思いますが、ミュージシャンというのは社会に認めてもらえるようになるまでは路上に立てば物乞い的な立場にあると感じます。
僕はキャリア自体は長いですが、社会的実績に於いては殆どないに等しいので、路上での肩身の狭さは若き日に感じでいた状況と余り変わりはないのかもしれません。
この世は、いい歌を作り歌っていれば社会から認めてもらえるというような単純な世界でもないだろうなと思います。
簡単にブログにして書き表すことの出来ないような、とても複雑な社会の構造があるように思います。
僕はその構造自体を変えて、誰もが暮らし易い世の中にして行く為に音楽を武器に取り闘っています。

社会的に認知されるようになるには運の良さも必要だと思います。
メディア関係者の方に関心を持ってもらえるかどうかが、とても大きな事柄になって来ると思います。
世の中に音楽を届けてくれるのはメディアに違いありません。
音楽という1つの情報を世の中全体で共有して、精神的な豊かさを生み出す役割を果たせるのはテレビやラジオということになるように思います。
僕の音楽が社会的に必要な時代ならば、たぶん自然とそういった流れとなる運を引き寄せることが出来ると考えています。
大衆が無意識レベルでそれを望まなければ実現はしないでしょう。

メディアに依存することには疑問を持っている僕ですが、メディアとの助け合いは望ましいことだと思っています。
このブログで僕がいつも伝えさせてもらっていることと矛盾した話をしていると思われる方がもしかするとおられるかもしれないので、一応説明を加えておこうと思います。
依存と助け合いとはまるで真反対の作用をもたらすものだと思っています。
何も排除することなく全てを生かす方向で、僕は社会活動をしたいと考えています。
若い頃には出来なかったことなのですが、ようやくそういったことに思いが至る歳になって来たようです。
全てが善も全てが悪も存在しません。
大雑把に捉えれば、全ては中庸で働かせ方の工夫が大切だなと考えています。
分け隔てる差別意識は自分自身の中にあると感じます。
そこを乗り越えて行かないと本当に素晴らしい音楽は生み出せない気がします。
頑張りたいです。


例えば、現政権が存続している理由は大衆の意識や無意識のレベルにある観念の投影だと考えています。
左脳的意識で回る社会全体には馴染みのない直感型人間のひらめき的発想ということになってしまうのかもしれませんが、僕個人はそう感じています。
科学的根拠のないことなので他人を説得するには不十分な意見だとは思います。
ですが、きっと日本人の意識の投影として等身大の姿で現政権は存続していると感じます。
流行にしてもそうだと思います。
どんな音楽が流行っているのかを見れば、大衆の意識がどういった状態にあるのか時代が汲み取れるように思います。
大衆の欲求がメディアから流れて来る音楽の質を無意識のレベルで決定し、現実を生み出し続けていると考えています。
物事を深く考えたくない国民が多く存在している文化に、芸術は姿を現すことはきっとありません。
アンダーグラウンドに流れ着くしかない運命を辿ることでしょう。
それは表現者側が意図出来ない運命という話なのかなと考えています。

僕が日頃思い続けているのは、本当に多くの人の為になるものが時代の表舞台に登場して欲しいということです。
現政権は本当に国民の生活に思いを馳せ、寄り添いながら共に人生の道のりを歩んでくれているのでしょうか。
もしそうでないとしたならば、それは一体何故なのでしょうか。
僕達国民の意識の投影として現政権が存在しているのだと仮定したとしたら、その現実を僕達国民はどのように受け止めて自分自身を省みるべきなのでしょう。

スーパーマーケットの棚に陳列された食品が遺伝子組み替えであったり、農薬塗れであったりする現実が続いています。
そのことと僕達の日常レベルでの意識とは明らかに一体であると思っています。
現実は全て僕ら1人1人の意識の投影なのではないでしょうか。
意識が現実を作っていると感じます。
その意識を成長させる役割を担うものが芸術だと思います。
それ以外にはないと思います。
芸術的な文化を何処かで排除して来た時代の流れがあっただろうなと思います。
大衆を精神的に自由にしたくなかった支配者層の思惑が感じられる世の中です。
誰でもいいので、本当に多くの人の魂を愛と自由の世界へと解放して行く為に役立つことの出来るような、高い志のあるミュージシャンに時代の表舞台に登場して欲しいと切にそう願っています。


令和という時代が本当に素晴らしい時代になったらいいですね。
戦後の焼け野原の街を復興させて、世界有数の経済大国にまで成長した過去に思いを馳せています。
今度は精神的な豊かさを大切にする時代になってくれたらいいなと、個人的には思っています。
経済大国になれど自殺者数が世界ワーストワンの国になってしまったことの意味を、充分議論し尽くし理解しこの過酷な現実を乗り越えて行かなくてはなりません。
誰もが歓びを持って参加することの出来る社会を実現して行く為に。
僕はそんな社会の誕生を待ち望んでいます。
そういった流れへと舵を切る政治指導者やミュージシャンの登場が必要だと考えています。
経済大国にはなれました。
でも本当の幸せには辿り着けませんでした。
それが日本の現状だと思います。

人に優しい社会を僕は望みます。
9条の改憲は必要ないと思っています。
必要なのは他国との文化的で人間的な交流だと思います。
それは軍備力を遥かに凌ぐ自衛力にも姿を変えてなってくれる筈です。
大好きな他国の友達に向けて、人はミサイルなんて打ち込みたくはないと思うものでしょう。
どんなに軍備力を強化しても核戦争になれば防ぎようがありません。
細菌兵器にしてもそうです。
不安をベースに社会を作るよりも、もっと人を真っ直ぐに愛そうとする思いから社会構築を進めることの方が、世界の恒久平和実現への道を歩む上ではきっと大切なことのような気がします。
物質的豊かさは1つの豊かさではありましたが、それ以外の豊かさを学ぶべき時がやって来たのだと思います。
強さについても同じで、優しさこそが真の強さだと学ぶべき時がやって来ているのかもしれませんね。
僕はそういった時代の流れになることを望みます。


毎日は癒着、依存、政治的利用のオンパレードです。
何処へ行って歌おうが、社会の掟に従い上手く立ち回れない者は静かに排除されて行くのです。
僕は自分の長き音楽活動の中で、ずっとそのことを感じて来ました。
ライバルの足を引っ張らないと上に上がれない醜い社会構造があり、誰もがその社会的な力に押され流され狡賢く立ち回る術を身に付けながら大人になって行きます。
そのことを認め問題を直視しなければ、社会は生まれ変わっては行きません。
その為に今日の社会的カオス状態は存在している気がします。

汚職事件。
ワイロ。
裏契約。

孤独死
貧困。
仲間外れ。

嫉妬。
裏切り。
生存競争。

鬱。
メンヘル
自殺…

日常にはいかさまが当たり前に横行していて、日々滅茶苦茶がまかり通ってばかりいます。
狡い話ですが、それが今の日本社会のリアルな姿に違いありません。
僕はそんな社会に対し深く絶望していました。
だけど僕には歌がありました。
心の支えであり希望そのものでした。


路上の片隅に吹く街の風は、社会的に力を持たぬ者にはこっ酷く冷たく吹きつけます。
社会の皺寄せはそうやって弱者へと向かう構造があると思います。

日本社会に生きる全ての人が抱えた心の闇に眠る問題に対して、希望の光をもたらすような活動が各分野で活発になって行って欲しいなと願っています。
沖縄の基地問題
体制側が反対する市民に権力を振るい排除する。
そんなことが当たり前のこの国です。
そして僕らは、今日も自分の抱えた生活のことで手一杯で無関心に生きているばかりなのでしょう。
自分には関係ないと思って。
だけどそれは本当にそうなのでしょうか。
原発に反対しても同じことです。
静かに排除されて行きます。
何故メディアはその映像を撮影して放映しないのですか?
可笑しいことだらけです。
国会議事堂前の改憲反対のデモを、あるがままに事実の出来事としてあったこと全てを包み隠すことなく何故放映しないのですか?
情報操作は当たり前に行われています。
それが世の中というものと黙っていてはいけません。
何でもいいから出来ることを行動に移さなくてはなりません。
日本人は家畜化されていて体制に反発することが出来なくなりました。
可笑しいものは可笑しいと意思を示すことはタブーとされて来た社会だと思います。
でももう変わらないと後がない所まで来たように思います。
皆と同じなら安心してしまう国民性です。
集団自決を美徳とした国だからでしょうか?
可笑しいと思うことにきちんと意見を言える大人がいません。
でもそれではもう先が本当にないなと感じています。
歌の力をまだ今も信じることが出来ているということだけが、僕がこの世で見つけたたった1つの希望です。
音楽を始めた少年の頃から決して変わることのない思いであり、今も音楽に懸ける情熱に変わりはないと思っています。

日本は今相当に自己中だと思います。
不幸せを感じているからでしょう。
勿論、これは僕自身のことでもあります。
それではいけないと思っています。
行動しないといけません。
心の中に愛があるのならば。
正しいと思うことに対して行動することが、誰もが暮らし易い社会の実現に向けての鍵を握っていると思います。


くれ福祉まつりでのライブを終えて、色々なことを考えながら過ごしていました。
このまま今のライブ活動を続けて行こうと思います。
是非皆様ライブでお会いしましょう。

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