スケジュールに花束を

バンド、フレンチトーストのブログ。広島の明王台という団地にあるきららカフェで、2014年春にすがわらよしのりとマスターとで結成したフレンチトーストのストーリーを伝えます。

2019 LAST STAGE

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2019 LAST STAGE

令和元年のラストステージは、ささやかな身内での集まりのような雰囲気になった。
お客さんは最近出会ったダンスをする少年、上原孝太郎君と孝太郎君のお母さんの2人だけだった。


ライブ当日。
孝太郎君のお母さんから、LINEのメールが届いていた。
用件は、遅れるがライブにやって来るとの内容だった。
なのでマスターとひかる君ときはぴーの3人は、リズムセクションの練習をしてお客さんのいない空いた時間を過ごしていた。
マスターは指導者となり楽しそうだった。
ひかる君も弟子であるきはぴーの楽器演奏の上達をサポートしていた。
きはぴーは、アフリカの大地のリズムのような難しいビートをドラムで叩いていた。
腕をメキメキ上げていることが分かった。

流石に年末の押し迫った忙しい時期で、ライブにいつも来てくれていた人達も皆用事がありやって来ることの出来る人はいなかった。
お客さんがいなくても、自分のライブをやるペースを崩さないでいたかったからやることにした。
そんな気持ちで2019年のラストコンサートを計画した。
6月22日に僕の育った街である田尻で第1回目のこのショーを始めてから、数えること第9回目のライブとなっていた。
6月22日は丁度夏至だった。
約半年の間、何度もライブへと足を運んでくれた方達の姿があった。
この定期的に行って来たFRENCH TOAST de SHOW!を楽しみにして下さっていた皆さんがいてくれて、何とか細々ながらやって来ることが出来たことが有り難かった。
体力気力共に好調の時ばかりではなく、アップダウンの波を乗り越えながらの日々だった。
作品作りについては、皆に聴いてもらいたい歌がどんどん用意出来た時もあれば、なかなか進まなかった時もあった。
曲が書けないことはなかったのだけれど、1つの歌をハイクオリティーでより完璧に仕上げようと努める時、細々とした詰めの作業に手間取ることがあった。

ライブに来てくれた皆様、本当にありがとう

そう思っていた。
来年もこのままこのショーを続けて行こうと思っていた。

僕はきららカフェのメインルームでママさんの入れてくれたコーヒーを飲みながら、暫しくつろぎの時間を過ごしていた。
ママさんがずっと話し相手になってくれていた。
何だかんだと思いつくままに、ママさんとのたわいのない会話を楽しんだ。

僕は、暖かな春の陽だまりのようなマスターご夫妻の人柄に親しみを覚えて来たのだろう。
目の前にいる僕という人間を真っ直ぐに見て受け入れてくれているように感じられるからこそ、長い間きららカフェにお世話になって来たことは間違いのないことだったように思う。
人生の中でそんな出会いが出来るのは、きっとそんなに多くあるものではないように思っていた。
よっちゃんと言って、僕のことを愛称で親しみを込めて呼んでくれていたマスターご夫妻がいた。
勿論、温かい人柄のご夫妻なので誰にもそんな風に接しておられたように思う。

僕がきららカフェを初めて訪れたのは、2013年8月の夏のある日のことだった。
あの日から随分時は流れ去り、季節は幾度となく巡っていた。
きららカフェも途中2度の長期休暇期間があり、今は週に2日だけの営業をしていた。
マスターご夫妻は、お二人共70代でのカフェの営業をされていた。
無理なく元気に続けて欲しかった。
生涯現役で。


マスターとひかる君ときはぴーとがセッションをしてきはぴーの楽器レッスンをしていたカフェの奥の部屋は、皆で楽しそうに盛り上がり演奏が続いていた。
こんな時、体験型音楽教室のような雰囲気になるのはいつものことだった。
ひかる君は、インストラクターをするのが向いているようだった。
情熱的にテキパキと指導をして行く。
はっきりした性格だったから、言うべきことは直ぐに伝えているようだし指導者としての資質を備えているように思った。
人が向上しようとすることに対して、応援しようという気持ちの強いひかる君を感じる思いだった。
きっと自分自身のダンスの夢を追っていたからこそ、人にも夢なんかがあれば応援したい気持ちになったのかなと想像していた。

僕のバックでドラムを叩いてくれている時にも、ひかる君のそんな思いが伝わって来るように感じていた。
僕の歌をより良く聴いてくれている人に伝えようとする意識が感じられるようだった。
バンドを組むと人間関係がややこしくなることを経験していた僕は、爽やかに付き合える打算のないひかる君との関係が心地良くて楽しかった。
バンドを組むことは男女の交際にも似ているなと思っていた。
ドキドキワクワクする関係。
何だか気の重くなる時間が流れるような関係。
色んな関係があったことだろう。

音楽性が合わず解散。
バンドが解散する時、よく聞く理由だった。
音楽性って生き方でもあるのだろうし、どんな世界に向かおうとしている魂の集団なのかという部分で思いが重なり合わないと、やっぱりバンドメンバーとの関係はなかなか上手くは行かないのかなと思う。
音楽をやって行く上での目的意識やフィーリングの合うバンドメンバーと巡り会いたいと思っても、必ずしも出会える訳ではなかったように思う。
やっぱり最終的には、運命の出会いってことになるのかもしれない。
素晴らしいバンドメンバーとの出会いが出来るかどうかは、運命的な力による導きがないと難しい気がしていた。

実力主義というのが、たぶん僕とひかる君の共通の価値観だった気がする。
無名だろうが何歳だろうが、凄い奴は凄いと認める。
自分の目でちゃんと見て感じて、本物かどうか見抜く。
そういった生きる姿勢を、ひかる君は持っているなと思っていた。
それは現代社会に足りないもので必要なものだったと思う。

バンドメンバーに対して打算的な何か思惑が働いているなと感じると、僕はバンドをやっていても全く幸せにはなれなかった気がする。
フレンチトーストをやっていて1番素晴らしいなと思う所は、そういった柵がなくて輝ける青春時代を生きる学生の部活のノリのような雰囲気でバンドが楽しめていたことだった気がする。
仕事ではなくて情熱で、バンドメンバーと共に音楽をひたすらに愛していたかった。
フレンチトーストはビジネスにしたくなかった。

経済活動とロマンを追うことは、なかなか上手くは結び付かないものなのかもしれない。
生活のことを考えて夢を断念せざるを得ない状況だってあるかもしれない。
社会的な力や時代によって、不運にも夢を奪われることだってきっとあるのだろう。
資本主義に組み込まれるということは、純粋に夢を追えなくなることのように思っていた。
僕らの生活の全ては資本主義により成り立っていた。
そこで競争が起こり、能力がはかられ、物事の優劣が生まれていた。
芸術家は、その不自然なバランスをフラットに戻す挑戦者だと僕は考えていた。
より良い作品を生み出すことだけを目的とした生活に、幸せが感じられるような人生を送りたいと願っていた。
これは僕が1人守り続けて来た純情の話だった。

少年少女の頃。
人は誰しも、少なからずそんな淡くて脆いロマンを大切にしたいと思っているのかもしれない。
だが、そのロマンを生涯追える人は稀な存在だったに違いない。
僕は、少年の頃からそんな人生を送ることを夢見切望していた。
社会から評価されないとしても、実力主義で行きたかった。

資本主義社会は、商業ベースに乗らないと上手く世の中を渡り歩くことが出来辛かったように思っていた。
社会に順応してしまうと、芸術作品の命を守るという視点の上ではかなり危険な生き方だった気がする。
それに成功したとしても、人気者でいられる時間なんてきっと短い。
人気がなくなれば使い捨てられることは間違いのないことだった。
お金にならないし、色んな意味で社会の人々にとって群がる価値がなくなるからだったのだろう。

お金が絡むと大抵ろくな結末にはならないのだろうなと思っていた。
お金は魔物だった。
僕が音楽をやる為に生まれて来たとするならば、きっと本道を踏み外さない限り生活の方は何とかなるくらいにしか考えてなかった所が僕にはあった。
僕の頭の中にあるのは、常に殆どが音楽のことばかりだった。
少年の頃からずっと。
どんなに茨の道が続いて苦悩していたとしても、音楽に全て昇華して行くことが出来る人生だったから本当に幸せな人間だなと自分でそう思う。
恵まれていて運が良かった。


ひかる君は名古屋でのダンス大会で見事に賞を受け取っていた。
きららカフェのメインルームで、その話題についてひかる君と盛り上がって話をした。
女の子3人とひかる君の4人でチームを組み、ダンス大会で踊ったとのことだった。
かなり緊張して吐きそうになったようだった。
ひかる君達を指導していた女性は、出産を機に退職するのだったかお休みに入るのだったかどちらだったか忘れたが、先生のその今後の予定についてひかる君が話して教えてくれていた。
ひかる君の話によると、賞には今迄縁のなかった学校だったそうだ。
ひかる君はお世話になって来た先生に賞を取らせてあげたかったとの思いを語っていた。
本格的なショーの場だったようで、有名な人が審査員として招かれて来ていたようだった。

ひかる君達はよく健闘したなと思う。
この経験はひかる君をきっと成長させてくれていたことだろう。
審査員特別賞。
そんな賞のタイトルがひかる君の青春の日々の1ページに刻まれ、ダンスへのその情熱と努力を讃え人生を祝福していた。
グランプリも準グランプリも逃したけれど、ちゃんと評価を受けて良かったなと思っていた。
3位の位置になるのかなと思う。
立派な成績だった。

LINEのメールで、出発の時や賞の獲得について僕に報告を入れてくれていた。
きっとこのダンス大会での体験は、ドラマーとしてのひかる君にも良い影響を与えてくれることだろうと思う。
ステージに立てば、実力が問われるショーの世界。
助けてくれるものは、自分が身に付けて来た確かな技だけに違いなかった。
真剣勝負の世界だ。
だから感動が生まれる。
審査がどれ位厳正に行われているのか等、世界を見渡せばショーの世界には疑わしいことも多かったけれど、ひかる君達の獲得した賞はきっとその努力に相応しく栄光を讃えていたのだろうと思う。
2019年の年末にひかる君のダンス大会での大健闘の知らせが届き、幸せのお裾分けをもらった気分だった。


楽器レッスンもそこそこやった頃、この日のFRENCH TOAST de SHOW!がささやかに開演した。
第9回のFRENCH TOAST de SHOW!となっていた。
楽器レッスンをした分ライブをする時間がなくなったので、演奏を予定していた曲の構成でのライブをすることは取り止めて、結果的にこの日のFRENCH TOAST de SHOW!はミニライブとなった。
練習が足りないなと感じている曲を中心に演奏した。
11月のライブから声の調子が良くない日があったけれど、この日は好調だった。

ライブの2曲目で、マスターからリクエストをもらった午前0時のMOONLIGHTを演奏した。
この曲を演奏中にお客さんが1人やって来られた。
ご近所に住む女性で、音楽が聴こえて来たので興味を持ってカフェに立ち寄ることにしたようだった。
その女性が母のバラードを歌うと涙を流して聴いてくれていた。
どうやら息子さんのことを思い、歌詞の内容にご自身の気持ちを重ねて聴いて下さっていたようだった。
この曲の演奏後にお話をした時、そんな内容の話を聞かせてくれていた。
2020年の年明け早々の1月5日に、きららカフェでFRENCH TOAST de SHOW!をすることをふと会話の中で話しているとやって来て下さるつもりで興味を持ち聞いて下さっていた。
ママさんに再度ライブ日を確かめて聞いておられた。
最高のお客さんの広がり方だったのかもしれない。
僕は本物の社会的な平和運動を音楽でやりたかった。
いいライブにはいいお客さんが付く。
それを目指したかった。

ダンスをする上原少年のお母さんも、ライブを楽しんでくれているようだった。
LINEのメールでやり取りした際に、そんな内容の思いを伝えて下さっていた。
僕が暫くの間暮らしたことのある埼玉の大宮に住んでいた話を、この日のきららカフェでの雑談の中でお伺いした。
ご出身は大阪で今は中国地方に住んでおられて、幅広い地域を生活圏として経験されたことのある女性だった。


フレンチトーストのショーへと来て下さったお客さん達と、人間的な繋がりが持ててお話をさせてもらえるきららカフェでのライブは贅沢な時間で有り難かった。

2019年。
対バン形式でのライブやミニライブをずっとやって来ていたけれど、6月22日の夏至に行った第1回 令和誕生だよ FRENCH TOAST de SHOW!からワンマンライブとしてのライブ活動に入った年となった。
ライブ当日迄、少なくてもいいのでお客さんが来てくれたらいいなと客入りを気に掛けることもあった。
僕はお客さんがいなくてもいいと思えたかもしれないけれど、きららカフェでのライブはわざわざカフェを開けてもらってのライブだったのでお客さんにはやはり来て欲しかった。
ミュージックファクトリーでのライブも、ライブハウス側の経営上の都合があったと思うので出来れば少しでも多くお客さんに来て欲しいなと思っていた。
なので、会場で実際にお客さんの来てくれている様子を見て良かったなと安心するような状態だった。

フレンチトーストの誕生の地であるきららカフェや高島チャペルが、無料でのライブ会場の提供をしてくれたお陰でお客さんが少なくてもライブ活動を何とかやって来れた。
きららカフェにはライブ会場の提供代として、お客さん達から入場料として頂いた千円をお渡ししていた。
ライブに来てくれたお客さんに、いつもコーヒー1杯を付けて振る舞って下さっていた。
高島チャペルは、地域住民に貢献する活動をすることを教会としての心情とされていた。
なので、きららカフェと同様に無料でのライブ会場の提供を行って下さっていた。
そして何よりもコンサートを聴きに来てくれた方達がいたことで、FRENCH TOAST de SHOW!の原型となっていた2018年9月16日のミュージックファクトリーでのライブから活動を継続させて来ることが出来ていた。
初めは対バン形式やイベントへの参加でのライブをしていて、ミニライブだった。
25分から30分のステージの為に、お客さん達にわざわざミュージックファクトリー迄足を運んでもらっていた。
ライブハウスでは経営を成り立たせないとならない目的があり、チケット代プラスドリンク代として六百円を売り上げとしてお客さんから頂くシステムになっていた。
格差社会の時代にあり貧困者の多い社会情勢を踏まえると、お客さん達に頻繁にライブハウスでのライブに来て頂こうと思った際には決して安い金額ではなかった気がしていた。
経済とアートの関係には、いつの時代も難しさがあった。
資本主義社会に呑み込まれてしまわないで、草の根的な平和運動としてのコンサートをしぶとくやって行く道を僕は探していた。

2018年9月はきららカフェが長期休業中だった。
それでライブ活動をする際、街にあるライブハウスの1つだったミュージックファクトリーにお世話になることにした。
僕の地元での音楽活動を昔から支えてくれていた馴染みのあるライブハウスだった。
ミュージックファクトリーは移転してまだ月日が浅く、とても真新しくて品が感じられた。
オーナーが女性だからなのか、ライブハウスに集って来るアマチュアミュージシャン達の何だか汗臭い匂いと共に野心の渦巻くようなギラギラした雰囲気が余りしない印象を受けていた。
それでフレンチトーストライブを行わせて頂くのにいいかもと思った。
楽曲のイメージが何となくミュージックファクトリーの雰囲気に合う気がしていた。
ステージの後ろにカーテンが引かれているようで、そのしなやかなラインが優雅さを僕に感じさせエレガントな雰囲気がして好きだった。
音響や照明の設備も素晴らしかった。
申し分のないライブスペースだった。

2018年10月に、フレンチトーストのブログ「スケジュールに花束を」を開設した。
ブログタイトルの決定に戸惑った。
最初は窓辺の陽射しというタイトルだった。
悪くはないがしっくり来なかった。
次にFRENCH TOAST STORYに変えてみたが、このタイトルも何だかしっくり来なかった。
3度目に本気モードになり、現在のブログタイトルであるスケジュールに花束をに変えてようやく落ち着いた。
フレンチトーストの活動をSNS上で可視化して、社会に少しでもアピールする狙いがありこのブログを開設した。
僕の感覚としての話だったが、ライブだとメッセージがダイレクトに届くことが多い印象を持ち、SNSは情報の発信源としての力は殆ど感じられないように思えていた。
例えばブログの散文は読まないけど、本にして渡せば深く読み込んでもらえるような印象を受けることがあった。
あくまでも僕の推測での話だったのだけど、何となくそんな感覚を覚えていた。
YouTubeだと歌が伝わり憎くて、ライブだと次にまたリピーターとなりライブに来てくれることが多いなというような総体的な印象を持っていた。
コンテンツをどのように手渡すかという違いで、反応が随分違って来るように思えていた。
情報過多の時代にあってわざわざ情報を自分から集めはしないけれど、受け取り易く伝えてもらった時にはきっと人は反応する生き物だったのかもしれない。

2018年11月にはきららカフェが営業を再開した。
それでまたきららカフェへと出掛けて行き、ライブをたまにさせてもらうようになった。
そんな経緯があった。


令和元年のフレンチトーストのラストステージも、無事にお客さん達に恵まれることとなった。

何とかお客さんが途絶えずにライブをやって来ることが出来ていた。
まだ少ないお得意さん達が、暇を見つけては代わる代わるにライブを聴きに来てくれた。
僅かなリスナーに向き合えるということは、実は最高の贅沢だった筈だと思っていた。
社会からは逆の価値観を叩き込まれて育っていたけれど、それは幻想だと思っていた。
勿論、沢山のリスナーに恵まれる幸せもあると思う。
だが、やっていることは常に1人1人のリスナーの人生と向き合うということだったと思う。
少人数のお客さんに対してライブを通してちゃんと関わり思いを伝えられなければ、たとえブレイクしても本当の意味で素晴らしい功績には繋がらないように考えていた。
観客動員数や経済効果は数字的に跳ね上がって行くとしても。
社会はそのことを過大評価する。
その時ミュージシャンはカリスマとして語られるのかもしれない。
だが、僕の魂の渇きを癒してくれるようなミュージシャンの存在が見当たらなかった。
だから、僕自身が理想とし求める音楽を自分自身で作り歌うしかなかった。
たとえお金にはならなかったとしても。

令和元年のラストステージにありがとう。
きららカフェやバンドメンバーやお客さん達。
2019年にフレンチトーストライブに関わってくれた全ての人にありがとう。 


FRENCH TOAST de SHOW! ダイジェスト 2019.12.28

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■ライブ告知
※前回のブログでのライブ告知では、2020年1月26日にライブをするようにお知らせしていましたが、都合の為前日の25日に変更しました。26日に来ようと予定されていた方がおられましたら申し訳ありませんでした。

第13回 FRENCH TOAST de SHOW!
日付 2020年1月25日
会場 きららカフェ
OPEN 12時30分
START 13時
入場料 ¥1000(コーヒー付き) 中学生以下無料

 

第9回 FRENCH TOAST de SHOW! 2019.12.28
演奏曲
1 MY WAY 夢遥か
2 午前0時のMOONLIGHT
3 野に咲く花のように
4 全員集合 de SHOW!
5 母のバラード
6 SCRAP MOUNTAINの黄昏
7 ドラムソロ
8 歌を友に人生の道のりを
9 BLUEな時代にSWING JAZZ
10 BLUEな時代にSWING JAZZ