スケジュールに花束を

バンド、フレンチトーストのブログ。広島の明王台という団地にあるきららカフェで、2014年春にすがわらよしのりとマスターとで結成したフレンチトーストのストーリーを伝えます。

怪我の功名

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※このブログ記事は少し前から書き溜めていたものです。


中村哲さんよ 安らかに

アフガニスタンで襲撃され亡くなられた中村哲さんが、どうか安らかにお眠り下さいますように。
今日のブログは、この冒頭でまず中村さんへの思いについて少し触れさせて頂き書こうと思います。
いいお別れの言葉が見当たりません。
急な速報による中村さんの死でした。
初めは命に別状はないとの知らせに一安心していました。
誰のことかも知らず、邦人の医師であることだけがその時僕に分かっていました。
普段余りテレビを観ないので、写真を見るまで中村さんのお名前とお姿が一致していませんでした。
以前テレビで拝見したことがある程度にしか知らなかった方ですが、その死がとても悔やまれます。
悲しく、寂しいです。
素晴らしい活動をされて来たことが、テレビを観た時によく分かる気がしました。
中村さんのなされて来た活動を思う時、どんな仕事をしているのであれ働くこととはこういうことなのだなというような、襟元を正されるような気持ちになります。
多くの方の幸せの為に頑張って来られたのでしょう。
僕などは本当に足元にも及びませんが、尊敬し見習うべきその生涯だったと感じています。
中村さん。
本当にどうもありがとうございました。

 

怪我の功名

11月最後の1日。


きららカフェに着くと、ライブのお得意さんの中の1人である青年が窓際の席に座っていた。
挨拶と束の間の会話を交わす。
青年は、ライブの時間を間違ってかなり早くやって来ていたようだった。
会話の中でそのことについて話をした。
青年のちょっとしたイージーミスだった。

きららカフェの奥の部屋には、こちらも早くからやって来てくれていた女性客が2人いた。
1人は9月16日のライブの時初めてやって来てくれた方で、この日は友達を誘って2人でライブを聴きに来てくれていた。
お友達とは初対面だった。
お2人と挨拶を交わし、早くやって来たことについて事情をお伺いした。
すると初めて来る場所なので早目に来たとのことだった。
なるほど。
道に迷えば遅刻してしまう。
先程の青年と同じで、こちらも大した理由でなくてホッとした。

そらから10月14日のライブに初めてやって来てくれた女性が、お知り合いになる女性と来て下さった。
お知り合いの女性とは僕は初対面だった。

女性は大抵、ライブを聴きにやって来る時に友達を一緒に誘って来てくれた。
その友達がまたライブを聴きに来たいと思って下さり、2度目のライブにやって来て下さるという循環が生まれて、自然とリピーターが少しずつではあるが増えていた。
メジャーとして何処かの事務所に入りお金儲けの為に使われることは避けたい僕にとっては、そのリピーターの増え方は理想的な状態だと思っていた。
今迄のメジャーでの活動のやり方は、これからの時代の生き方としては古過ぎると思っていた。
別の価値をミュージシャンとしての生き方を持って示せなければ、僕にとって音楽をやる意味はほぼないと考えていた。
多くの人が本当に歓びを持って社会に参加することが出来るようなこの国にして行く為にも、また世界中がそうなって行けるように取り組んで行く為にも必要なことだと信じていた。


穏やかな天候に恵まれた土曜日の午後。
第7回になるFRENCH TOAST de SHOW!が幕を開ける。

お客さんは5人だった。
ライブの時間を間違えて早くやって来ていた青年は、空き時間が出来たさっき、僕がやって来る前にマスターからドラムを習っていた。
どのタイミングでだったか覚えていないが、その話を青年やマスターから聞いたと記憶している。
マスターが機転を利かせ彼にドラムを叩いてもらい、空き時間を有効に使って楽しんでもらっていたらしかった。
その彼がオープニングナンバーでドラムを叩いた。
人生初ドラムだったのではないかなと思う。
以前に叩いたことが少しあったにしてもビギナーなんだけど、いきなりライブに参加して楽しんでくれていた。
カフェでのライブは、お客さん達との気楽でアットホームなこんな風なコミュニケーションを取ることが出来て楽しめることも魅力の1つのように思った。

ライブはいつものように進行した。
新しい曲を何曲かお披露目しようと思っていたけれど、作り掛けていた曲はどれも完成迄あと1つという所でライブ日を迎えていた。
今後また演奏したいなと思っていた。

この日のライブの歌の出来を振り返れば、40点くらいかもしれない。
非常に良くなかった。
生身の体が楽器なので色んな条件が絡み合い、油断すると声が出ないということになってしまう。
この日は声が出なくて、からっきし駄目な歌だった。
ベストな声の状態でライブにいつも望むには、かなり厳しく自己管理をしないと難しかった。
歌が良くないと聴く側は失望してしまう。
なるべく声が出ないという状況になることは避けないといけないと思っていた。
また次のライブを頑張るしかなかった。
体が楽器のボーカルとしての厳しい声の状態を整えるという闘いがあった。

この日のライブはフレンチトーストのメンバー全員が揃っていた。
ライブの途中で、11月10日の野外ライブで出会った親子がやって来てくれた。
ライブにお誘いさせて頂いていたのだけれど、本当にやって来てくれて嬉しい出来事となった。
少年は、あの日と同じように飛び入りでダンスを披露してくれていた。
歌も歌ってくれた。
小学1年生でなかなかいい度胸を持った少年だった。
空手を習っていて体格がいい。
やる気があって、頼もしいタイプの男の子のようだった。
きっとダンスをすることが今は楽しいのだろうなと思った。

フレンチトーストは歌物で行きたいから、余り沢山はダンスをしてもらう時間を取れないかもしれないけど、出来る限り協力し合える関係になれたらいいなと思った。
今は自然な流れに乗ってライブを楽しんでみたいと思っていた。

ひかる君は、この少年と初めて会った日に気に入り弟子にしていた。
ひかる君ときはぴーとこの小1の少年とで、フレンチトーストとは別のグループをもう1つ作れそうな雰囲気を僕は感じていた。
そうなったらそれはそれでいいかもしれない。
とにかくどんな形であれ、皆がそれぞれの良さを発揮して行ける社会を作ることが僕の真の目的だった。

FRENCH TOAST de SHOW!には聴く人ばかりでなく、人前で自己表現をしたい欲求を持った人も集まって来ていた。
自分のペースが崩れ過ぎない範囲で、その人達の気持ちにも応えて行けたらいいなと思っていた。
今回出会ったこの少年とは、フレンチトーストと彼とでお互いが引き立て合えるような状況の時にはコラボを楽しめそうだなと思った。

それからカフェのママさんの友達で、カフェの近所に住む馴染みの女性もライブが終盤に流れ込んで行く頃だったかにやって来てくれて、暫く時間を共に過ごした。
ママさんが連絡を取りライブに招待してくれたようだった。
孫がいても不思議のないシルバー世代だった。
フレンチトーストのメンバーを含め、きららカフェのお得意さん達が多く顔を揃えていた。
顔馴染みが揃い、和やかムードに包まれコミュニケーションを楽しんでいるような雰囲気だった気がする。
仲間意識については、良い面と同時に良くない面もあるものだと思うから気を付けないといけないとも思っていた。
1つの仲間意識は、それ以外の者を差別する意識にもなりうるからだ。
そうはならないピースフルワールドを僕は求めていた。


ひかる君がこの間髪をシルバーに染めたから、LINEで写真を送って来て見せてくれていた。
韓流スターのように爽やかに写真に収まり、イケメン度を上げている様子が伝わって来るようだった。
ダンス大会の予選を勝ち抜いていたひかる君は、次のパフォーマンスを披露するステージの時が近付いて来ていて、気合いが段々入って来ているのかもしれないなと想像していた。
少しずつテンションを上げて行こうとして髪を染めてみたのかもしれない。
ダンス大会で健闘して欲しかった。
ダンサーとしての人生を送ることが、今1番の彼の理想のようだった。
エンターテナーになりたいのだと以前夢を語って聞かせてくれていた。
ひかる君は、今後どんな風にその夢を実現して行こうとするのだろうか。
楽しみに思っていた。


この日は、きはぴーにライブで演奏する曲数を少なくさせてもらっていた。
流石にまだ小学生なので、歌の伴奏としての演奏が上手くなるにはまだ時間を掛けて練習する必要があった。
きはぴーが下手だからではない。
僕やひかる君もきはぴーくらいの歳の頃には、歌の伴奏としての楽器演奏は難しかった筈だと思う。
自然な成長の過程の速度がきっとあって、小学生くらいの歳では誰でも上手く出来なくて当たり前なのだろうなと思う。
きはぴーももう少しお兄ちゃんになれば、きっと上手く演奏出来る筈だと思っていた。
きはぴーには参加曲数を減させてもらった分、ドラムソロを叩いてもらって自己表現をする機会を持ってもらった。
ひかる君から電話があった時、きはぴーの出番を今回のライブでは減させてもらうけど、その代わりにドラムソロを叩くコーナーを作ることを予め伝えていた。
その話をひかる君からきはぴーが聞いていたかどうかは知らなかったのだけど、きはぴーは朝からドラムの練習をして来ていた。
お父さんがバンドマンをやっていた人で、だから家にどうやらドラムがあるらしかった。

きはぴーは僕がライブ後家に戻った頃、LINEでメールをいつもくれた。
ライブが出来て嬉しかった思いを伝えてくれていた。
よっぽどライブをするのが楽しかったのだろう。
僕もきはぴーくらいの歳の頃、少年野球のリトルリーグチームで試合がある日は同じような思いになりテンションが高くなっていた。
早朝から興奮してユニフォームに着替え、番犬に散歩をさせたりしていた。
実家は県道沿いにあり、その姿をたまたまリトルリーグチームの監督が車で通りがかり見つけて嬉しそうに後でそのことを話していたことがある。
監督は試合を早朝から楽しみにしている僕の姿を見て、監督としての張り合いを感じていたのかなと思っていた。
丁度今のきはぴーくらいの歳の頃のことだ。
たぶん5、6年生くらいだったのだろうと思う。
正確には6年だったような気がするが、記憶は定かではない。
6年だったとすれば、今のきはぴーと同じになる。
きはぴーは今、小学6年生だった。
そんな自分自身の体験があるから、きはぴーの気持ちは良く分かる気がする。
ひかる君が言うには、今日はライブがあると友達に話しているらしかった。
きはぴーのご機嫌ぶりをきららカフェにいる時、ひかる君がユーモラスに話して聞かせてくれていた。


ひかる君は、もう直ぐ18歳の誕生日を迎える。
たぶん17歳のひかる君とのライブは、この日が最後になるのだろう。
17歳のひかる君にありがとう。
ひかる君がフレンチトーストのメンバーとして加わってくれたのは、今年の1月のことだった。
随分久しぶりとなるセッションをして、以前よりドラムの腕を上げていることが歴然と分かる演奏を披露してくれていた。
その時、ひかる君がフレンチトーストのメンバーになってくれた。
あの日のドラマーとしての歓びに溢れたひかる君の姿が、瞼に熱く焼き付いていた。
17歳の青春の息吹が感じられて、中年の僕には爽やかで眩しい姿だった。
まるで映画「フィールド・オブ・ドリームス」の中に出て来るルーキーのようだった。
ルーキーが憧れのスター選手と野球が出来ることへの感動を覚えている姿が描かれていて、観ていてワクワクするストーリーだった。
ひかる君と僕との関係はその映画の話の設定とは違うけれど、ひかる君がルーキーであり、バンドに少なからず憧れを持ちやりたかったのではと思う点では、映画の中のルーキーと置かれていた状況が近く同じようなものだったのかもしれないなと思う。
僕とセッションをしてドラムを叩き、歌の伴奏を実際に務めてみて感動しているように見えた。
ひかる君のその純粋さが僕は気に入った。
彼とならバンドを組んでもいいなと思った。
バンドとしての活動は仲間がいないと当然だが出来ない。
ひかる君はドラマーとしての自分の腕を生かし、きっとバンドでドラムを叩きたかったのだろう。

12月4日で18歳になるひかる君。
17歳という輝ける青春の日々を生きるひかる君と知り合えて、この約1年の間一緒に何度もステージに立ちライブが出来たことを心から嬉しく思っていた。
気遣いの出来る、真っ直ぐで優しい少年だと思う。
ひかる君はダンサー志望で、予選を突破し間もなく名古屋での大会が控えていた。
複数のメンバーと踊っているらしかった。
ドラムは0歳から始めたらしい。
ダンスの夢も大切にして欲しいし、ドラムもずっと大切にして欲しいなと思う。


フレンチトースト AFTERNOON LIVE


マスターは午前0時のMOONLIGHTでコンガを叩くのが楽しいらしくて、演奏のリクエストをしてくれた。
ひかる君にはワイヤーブラシでドラムを叩いて欲しいことを伝えていた。
その時、ひかる君はマスターの頼みは断れないと言っていた。
小学校の卒業式の時には、マスターの服を借りて式に望んだひかる君の姿があった。
僕はそのエピソードを聞いて、マスターとひかる君の縁の深さを感じるような思いになった。
マスターは、自分の服を着て卒業式に望んでくれたひかる君のことをとても嬉しく思っている様子だった。
孫に対する愛情にも似たマスターの温かな気持ちが、見ていて伝わって来るようだった。
ママさんもマスターと同じように喜んでいるようだった。
マスターご夫妻の人柄が良く出ているエピソードだなと思う。
愛されて育ったのだろうということが分かる気がする。
人はされたことを人に自然とするものだろうから。
そんな懐かしいエピソードをふと想い出す。
フルコーラスは演奏しなかったが、この日こうして午前0時のMOONLIGHTを演奏することとなる。
パーカッション奏者が楽しめる一曲なのだろうなと思う。


カフェのママさんが作っショルダーバッグを、僕はこの日購入した。
着物の生地で作ったいい品物だなと思う。
ママさんはバッグやエプロンを作る時間が楽しいらしかった。
深夜1時迄ミシンを使うことがあるようだった。
物作りの楽しさを僕は良く知っているので、ママさんの熱中する気持ちが分かる。
5月に大腿骨を骨折し、いち時は元気がなかったように見えたママさんが生き甲斐を見つけられて良かったなと思っていた。
カフェテラスでホースに躓き転んでの骨折だった。
なのでマスターがまた転ばないようにと、ママさんの入院中にカフェテラスに置いてあったママさんの鉢物を撤去した。
ママさんは花が好きで、退院後は鉢物がなくなり落胆し過ごしていた。
マスターはママさんがいない内でないと手放せないことを分かっていたようで、敢えてママさんに相談せずに鉢物を取り払ったらしかった。
ママさんのことを心配していたからこそなのだろうし、マスターはきっとママさんが元気でいてくれないと生きて行くのに自分自身も辛かったのだろうなと僕は傍で見ていてそう思った。
1つの夫婦愛の形の表れなのだろうなと思う。


バンドメンバーである仲間達やお客さん達と楽しい時間を過ごせたことに僕は感謝した。

怪我の功名。
そんなライブになったかもしれない。
声が出ないから合唱を取り入れたり、皆がそれぞれ出来るパフォーマンスをしてライブを何とか作り上げた。
今の日本社会に必要な要素だったかもしれない。
何処もかしこも社会システムが破綻していて、皆で人間的な力を発揮して機転を利かして協力し合わないと社会が上手く機能を果たさないような現代の状況に、この日のライブを重ね合わせ回想してみる。
僕の声が出ずライブが上手く行かない時に、ある意味皆で取るべきその協力態勢を実践して見せたとも解釈していいようなライブになったのかもしれない。

美しく空が黄昏てゆく頃、僕は穏やかな気分できららカフェの扉を出た。
お客さん達はもう既に先に帰っていた。
ひかる君は、僕が帰ろうとするまで先に帰らず律儀に気を使う姿を見せる所があった。
扉を出ようとすると、開けて先に行かせてくれようともするジェントルマンだった。
マスターもジェントルマンだけど、ひかる君もその流れを受け継いでいるような所が見受けられた。
確かサッカー少年という歴史も持っていたひかる君は、先輩は立てるスポーツマンみたいな所があるなと思っていた。
皆とのさよならの別れ際に、カフェの扉の前辺りにいたひかる君ときはぴーに声を掛けた。
その時、ひかる君にきはぴーの演奏のレッスンを頼んで別れた。


きららカフェでの何気ないけれど満ち足りた時間は、この日こうして終わって行った。

 

FRENCH TOAST de SHOW! 2019.11.30
演奏曲
1 DREAM COME TRUE
2 BLUEな時代にSWING JAZZ
3 STAND UP JAPAN
4 人生に幸あれ
5 旋風
6 母のバラード
7 〜ナレーション〜
フレンチトースト
8 〜ドラムソロ〜
同窓会
9 PANDORA
10 〜木原徳大のドラムソロ〜
-合唱-
風になりたい
踊るポンポコリン
11 STAND BY ME -ひかる君のボーカル-
12 -メドレー-
午前0時のMOONLIGHT
野に咲く花のように
素晴らしき人生を
OH THANK YOU OH GOODBYE

 

■ライブ告知
第9回 FRENCH TOAST de SHOW!
日付 2019年12月28日
会場 きららカフェ
OPEN 12時30分
START 13時
入場料 ¥1000(コーヒー付き) 中学生以下無料

第10回 FRENCH TOAST de SHOW!
日付 2020年1月5日
会場 きららカフェ
OPEN 12時30分
START 13時
入場料 ¥1000(コーヒー付き) 中学生以下無料

第11回 FRENCH TOAST de SHOW!
日付 2020年1月13日
会場 高島チャペル
OPEN 12時30分
START 13時
入場無料