スケジュールに花束を

バンド、フレンチトーストのブログ。広島の明王台という団地にあるきららカフェで、2014年春にすがわらよしのりとマスターとで結成したフレンチトーストのストーリーを伝えます。

ふれ愛ランドLIVE終了 〜人生にありがとう〜

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ふれ愛ランドLIVE終了 〜人生にありがとう〜

24日は、広島県青少年育成アドバイザー協議会が行ったふれ愛ランドでのアドバイザー養成講習会でライブをさせて頂きました。


この日は別の場所であったライブにもお誘いを頂いていたのですが、広島県青少年育成アドバイザー協議会からのライブのお誘いをお引き受けするという選択をしてのライブとなりました。
選択の際の理由は、僕の代わりのミュージシャンでは成立しない内容のお話であるように感じたからです。

ライブは無事に終了しました。
ライブレポートとしてこの日のことを散文に纏め記録したので、YouTubeにアップしたこの日のライブ映像と一緒にご紹介します。
皆様に楽しんで頂けたら嬉しいです。
ライブに関わって下さった皆様、本当にどうもありがとうございました。

 

人生にありがとう

11月の寒さの和らいだ日曜日の午後。
小雨が一時寂しげに空を舞う中、僕は自宅からタクシーで会場へと向かった。
洗いざらしの髪にブラックジーンズを履き、長き月日着込んだシャツを2枚重ね着していた。
決して経済状況が良さそうでも、肩書きのある地位にある人間でもなさそうな身なりをしていた。
ギターケースと共にタクシーの後部座席に行儀良く収まり、車窓に流れ行く街の風景をぼんやり見つめたりしていた。


若き日の僕は都会にグッバイを告げた。
虚飾のアスファルトジャングルに。
18歳の春プロミュージシャンに憧れ夢を掴もうと上京して、夏になった頃には何だか祖国に帰る手立てすら持たぬ玉砕国の兵士のような気持ちになっていた。
社会的に生き残って行く術が見つけられないでいたからだ。
資本主義にさらばを告げ都会を離れたけれど、かといって田舎にも自分がミュージシャンとして生きて行く為の土壌はないように感じていた。

僕の田舎は災害が少ない恵まれた土地柄だった。
人と人とが助け合わずとも生きて行ける環境があった。
そういった環境では、悲しいかなたぶん人はおごってしまいがちだ。
きっと自分一人で生きていると勘違いしてしまうからなのだろう。
自然の力によって命が奇跡的に続いていることに思いが至ることは難しい、現代社会の構造があるように思った。
芸術や文化に対する感性が鈍った風土を、僕は自分の故郷に対して強く感じながら育っていた。
田舎の自然はとても愛しく感じていたけれど、人間社会との心の折り合いが全くつけられないで苦しんでいた。
都会に行っても田舎に帰っても、結局駄目だなと感じながら過ごしていた。
ただ田舎には自然という名の神が住んでいた。
それが、若き苦悩の日々に七転八倒する僕が命を失わないでいられた理由だったように思う。

人はみな孤独な存在だ。
一人で生まれ、一人で死にゆく定めなのだから。
そして、本当には誰も自分のことを理解してくれる人などはたぶんいない。

お金儲けだとか出世だとか、社会の過酷な生存競争の渦巻く嵐のような毎日に僕はほとほとうんざりしていた。
僕は自分の心の中に聴こえて来る音楽を、神の言葉として聴いていた。
誰にも話せないような内容の話だった。
気が可笑しいのかと思われるのが落ちで、この世の中そんな精神の世界を知る人などには余り出会うことはなかった。
ミュージシャン志望を語れば、まず大方の人に夢は否定された。
君には無理だよというメッセージが、ダイレクトに言葉にせずとも届いて来た。
大きな夢に懸けてみろよと言ってくれる大人は殆どいなかった。
僕の将来を案じての優しさからだったのだろうか。
僕のことを本当に気に掛けてくれていて、そんなに深く思いやってくれていたからだったのだろうか。
たぶんそれは違う。
人は自らの持つ信念体系の下に、自分の価値観から他者へのアドバイスをしているに過ぎないのだろう。
自分を信じていないと、他人の夢なんて本当には心から祝福し応援なんて出来ないのではないか。
寧ろ夢を持っている人間を妬ましく思うかもしれない。
自分を見捨てた代償に。

夢を追う日々の中で、もう死にたいと思うのはほぼ毎日のことだった。
だけどふる里の自然の力をもらって死ぬことはなかったのだと思う。
そういった運が僕の人生にはいつもあった。
生きないといけない何かが、きっと僕にはあった気がする。
それは自分の為ではなくて、たぶん誰かの為に。

社会に出てやって行くことは立派になったのではなくて、寧ろ駄目な大人になることのように感じていた。
社会的矯正を受け入れるという純情の敗北を感じていたからだと思う。
僕は芸術の神に使え生きて行きたいと強く願っていた。
平成の間中、僕はシンガーソングライターとしての長き下積みの時代を生きた。
約30年の歳月が流れ去って来た。
そして僕は、もう一度誰かの為に今度は歌を歌って行こうと思った。
人生にありがとう。
心からそう思ったから。


タクシーの後部座席のシートで寡黙に目的地を目指し物思いに耽っていた。
この日のライブは仕事的なニュアンスがあった。
ニーズにお応えしてのライブだった。
昔世界は全て敵のように思えていた。
自分の音楽だけが頼りの青春だった。


青少年育成。
そんなことに取り組まれている団体とのご縁を頂いての、この日のライブとなっていた。
僕は子供の頃から社会的矯正を嫌い、自分の生きる道を探してやって来た。
たぶん歌があったからやり通して来れたのかなと思っている。
随分無謀な生き方だった気がする。

物を作る人間はまるで子供のような純粋な精神を持ち続けるべきであるし、またその心を蝕む全てのものと生涯を通して断固闘わなければならない宿命であると考えていた。
まともな大人になったら一貫の終わりだと思っていた。

社会は子供達を常に矯正し続けている。
こうあるべきだという価値観に従わせようとしている。
正しい教えもあれば、跳ね除けた方がいい大人の理屈もあるだろう。
社会的ルールを破り不適切な行動を取る子供達は、大人の本音を見抜こうとしているように思う。
分かったような理屈で上から押さえ付けて来るような大人には、いつの時代も子供達の多くが反発心を覚えるに違いなかった。
結局は、矛盾する社会に心を閉ざして自分を守っているという生き物としてとても真っ当な反応だったことだろう。
大人になるとは本当に大変なことだ。
諦めて流されて行くことを大人になると定義している訳ではない。
世の中はそのことを大人になることと考えていたように思うけど。
それは違う。
自分が自分らしく生きて行く術を見つけて、矛盾する街の中で愛を伝えられるように成長すること。
それが本当の大人になるということではないかなと僕は考えていた。


18歳の時プロミュージシャンに憧れて上京した僕の青春の物語は、一体今何を僕のこれからの人生に問い掛けて来るだろうか。
結局、2年東京で頑張ったけれど、理想はことごとく敗れ去って行った。
矢沢永吉の成り上がりの時代じゃないことを理解した。
ビートルズにはならない。
僕の出した結論だった。
資本主義社会の奴隷になること。
それが成功と呼ばれていた。
ならば僕はそんなものはいらない。
この時代にはもうロックの星はいないし、新たに誕生もしない。
それが分かった。
だから帰郷することにした。

時代は流れた。
平成はどんどん社会が衰退して行くばかりの運命の中にあった。
僕になど出番はなく、陽の当たる場所へはどうしても辿り着くことが出来なかった。
運命だと思った。
そう予め決まっていたように感じていた。
僕はじっと耐えた。
力を蓄えて根を大地深くに張ることだけを考えるように努めていたかもしれない。

表現者とは、基本的に社会不適応者であるように思う。
矛盾だらけの社会に上手く順応してしまったら、表現は死ぬに違いない。
成功とはそういうことだ。
つまらない話だと僕は思った。
ちっぽけでくだらな過ぎると感じていた。
それでも成功を求めようとする意味は、僕には見い出せなかった。

人の心の感受性を大切にすること。
それが成功には付いて来ない。
古い時代の価値観だと思ったけれど、案外時代は長くその基準を手放そうとはしなかった。
元号は令和に変わった。


愛する故郷の山間の道をタクシーは進んだ。
人里離れた山奥迄走り、やがて池の脇の坂道を上った。
運転手が道を知らなかったので、知っている僕が案内役を務めていた。
池の脇の坂道を上り始めてから会場迄は、大した距離ではなかった。
門を通り抜けて中庭でタクシーを停めてもらうと、料金を支払いタクシーを降りた。
この会場に来るのは丁度二週間ぶりだった。
野外ライブをして以来のことだ。
初めて入る建物が目前にある。
その日の会場は、その建物と隣接する研修室になっていた。
研修室へは目前にある建物から入るらしかった。
二週間前に来た時に、野外ライブを世話してくれた内山さんという男性に前もって会場への行き方を教えてもらっていた。

建物の正面玄関の入り口は自動ドアになっていた。
中に入ると右側に下駄箱が並び、上履きに履き替えるようになっていた。
上履きはビニール製で傷み掛けていて、使用した歳月の移ろいが感じられた。
近代的な建物の割に、下駄箱とスリッパはもっと古い時代の物のように見えた。
下駄箱は木製だった。
塗装剤は塗られていないのか光沢はないようだった。
人気のない受け付けを過ぎて、開け放たれた半分のドアの方から中庭の通路へと出る。
そして隣接する研修室のこちらも半分の開け放たれたドアの方から中に入った。
会場は、そのドアを抜けて直ぐの一番端の一室のようだった。
長い通路が続き、向かって右手側に各研修室が幾つか学校の教室のように続いているようだった。
僕がライブ会場になる研修室なのだろうなと目星をつけた一室からは、男性で老人のような声が聞こえていた。
講義中のようだった。
僕のライブまでは後二十分くらいあった気がする。
今何時かとiPhoneの時刻を見た記憶があった。
人気のない長い通路。
ライブ迄の時間を静かに待ち佇んでいた。

講義らしき時間が終わったのだろうか。
研修室の中から今日のライブを企画してくれた内山さんの声が聞こえた。
やっぱりこの研修室で場所が合っていたことが分かった。
次は僕のライブの時間であることを、内山さんが講習会の参加者に伝えていた。
そして講習会は一旦休憩に入る。

研修室に入ろうとしていると、内山さんが先に中から出て来た。
この日初めての内山さんとの顔合わせとなり挨拶を交わした。
内山さんはゲストである僕を研修室へと招く言葉掛けもしてくれていた。

研修室内は、学校の大きな教室とチャペルの礼拝堂とを足して二で割ったようなスペースだったなと僕は後から振り返る。
ライブの支度を進め、ギターケースからギターを取り出しチューニングをした。
張り替えて間もない弦は、テンションがまだ不安定で音が狂い易かった。
ライブの撮影の準備もした。
百均で買ったiPhoneの観賞用らしいスタンドを持参していて、そのスタンドをパイプ椅子に置いた。
それからそのスタンドに、今度はiPhoneを立て掛けて置いた。
その後のことは、iPhoneのビデオ撮影録画ボタンをONにしたので全て動画として記録され残っている。


フレンチトースト ふれ愛ランドLIVE 2019.11.24


ライブは成功だったと思う。
ライブを撮影したビデオの映像には映っていない、講習会の参加者の皆さん達のライブ中の様子がドラマのように僕の視界に広がり思い出の記憶となっていた。
ライブ中は敢えて聴いてくれている人達の姿を見ないようにしていた。
見ると歌詞が出て来なくなたっり、ギターの演奏をミスすることが多かったからだ。
集中力が散漫になり、間違いが増えることは明らかだった。
だから時折見ただけだったけど、ライブを聴いてくれていた人達の姿が記憶に残っていた。

この日のライブの為に、内山さんとLINEのメール等で何度も連絡を取り合った。
二週間前のライブもそうだったが、ここ最近これで三度目になる内山さんにお世話になってのライブとなっていた。
内山さんは、広島県青少年育成アドバイザー協議会の副会長をされていた。
僕の母の知り合いというご縁から、今年の夏に母が内山さんにお願いしてフレンチトーストライブを聴きに来てもらった。
それが僕と内山さんの出会いの始まりだった。
フレンチトーストライブを気に入ってもらえて、その後ライブを企画して下さるようになったという経緯があった。

歌詞やライブをするに当たっての思いや各楽曲を演奏する上での思い等を、メールで送るように内山さんから頼まれた。
ライブの時にはそれらが印刷され、研修会の各参加者の手元に届いていた。
いつもよくライブを聴きに来てくれている講習会の部外者になる方達も、僕のライブの時間は参加してライブを聴いて頂けるように内山さんが取りはからってくれていた。
歌詞があると歌の内容が良く分かることについて、ライブを聴きに来てくれていたいつもの方からライブ後にコメントをもらった。
内山さんやその他の方達ともライブ後にお話をさせて頂く機会があった。
内山さんはその時の話の中で、ライブを涙を流して聴いておられた方がいたことについて教えて下さった。
ライブ中に楽しそうに聴いて下さっていた方の姿もあった。
内山さんもライブを喜んで下さっていたようだった。

研修室は床に木が張ってあるようだった。
木の床は、材質としての性質上音の響きが良くなるのではないだろうか。
それに部屋の形状や床以外の材質の影響もあったのかもしれない。
研修室はとても音の響きが良かった。
静かにライブを聴いてもらえる環境が整っているならば、音響設備がなくても生音が部屋中に良く響きライブをする上での音の問題はなかった。

研修室の窓の向こうには、二週間前にライブをした場所である中庭があった。
窓の方に目をやると、フレンチトーストのバンドメンバーであるひかる君ときはぴーとのあの日のライブのことが蘇って来た。
ひかる君は、移動手段の問題があり今回のライブには参加していなかった。
たぶんきはぴーも同じ理由だったのではないだろうか。
きはぴーにはひかる君がいつも連絡を取ってくれていた。
まるで弟の世話を焼くお兄ちゃんといった感じだっただろうか。
もう一人いるバンドメンバーであるきららカフェのマスターも、今回のライブには参加していない。
マスターは、基本的にきららカフェでのライブの時に参加というライブ参加のスタンスになっていた。
フレンチトーストの他のメンバーはおらず、僕一人が参加したギターの弾き語りでの今回のライブが無事終了した。

その場にいた人達との話や挨拶も済み、内山さん達が研修室の後片付けをしている途中で、僕は入って来た時と同じ研修室の前方のドアから退室した。
研修室には、学校の教室のように前方と後方に二箇所ドアが付いていた。


研修室を出た後、元来た通路を逆戻りして玄関前の人気のない受け付け辺りでタクシー会社に電話を掛けた。
行きでも使った馴染みの会社だった。
帰りのタクシーの手配が済み、僕はライブを無事終えることが出来た安堵感を胸にiPhoneの電話を切った。


ふれ愛ランドLIVE 2019.11.24
演奏曲
1 STAND UP JAPAN
2 人生に幸あれ
3 旋風
4 STAND BY MEは風に乗り流れて
5 〜ナレーション〜
フレンチトースト
6 CHALLENGE
7 素晴らしき人生を
ENCORE
8 素晴らしき人生を


■ライブ告知
FRENCH TOAST de SHOW!
日付 2019年11月30日
会場 きららカフェ
OPEN 14時30分
START 15時
入場料 ¥1000(コーヒー付き)