スケジュールに花束を

バンド、フレンチトーストのブログ。広島の明王台という団地にあるきららカフェで、2014年春にすがわらよしのりとマスターとで結成したフレンチトーストのストーリーを伝えます。

ふれ愛まつりLIVE終了 〜香港の今〜

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ふれ愛まつりLIVE終了 〜香港の今〜

10日の日曜日は、ふれ愛まつりというイベントに参加させて頂きライブをして来ました。


今回のライブはこのブログでの告知が間に合わず、お知らせなしでの当日を迎えました。
お祭りの賑わいの中での音響設備のないストリートライブといった環境でもあり、ゲリラライブ的なノリでの参加になりました。
音楽を聴く環境としては賑やか過ぎることになることは予め予想出来ていたことだったので、普段ライブを聴きに来て下さっている方達にも敢えて余りお誘いはしませんでした。
秋晴れのとても気持ちのいいお天気に恵まれ、沢山の来場客が行き交う中各催し物が取り行われていました。

フレンチトーストのバンド編成は、ひかる君と木原君がきららカフェのマスターから借りて来たカホンを1曲毎に演奏を交代しながら叩いてくれるという形になりました。
2人共ストリートライブのようなスタイルでのライブは初体験とのことでした。
僕はといえば、先月末の呉でのライブ同様にお祭りでのライブは昔やっていた懐かしいストリートライブを思い出すシチュエーションだなと思いながらの参加となりました。

木原君のお母さん方のおばあ様も来て下さり、初めてお目にかかりました。
ご挨拶をさせて頂き、暫く立ち話をさせて頂くことが出来ました。
ライブに飛び入りで踊りまくってくれていた小学1年生の男の子もいました。
その子のお母さんがいて少し立ち話をさせて頂くことが出来ました。
Facebookできららカフェさんでのフレンチトーストの活動を見て下さったことがあるそうで、ご自身もバンドをされボーカルをしていたことがあり、音楽にご興味がおありといった内容のお話を聞かせて下さっていました。
もう2人お子さんがいて、たぶん皆ご兄弟だったのかなと思っています。

今回のライブは、先月末にあった呉でのライブ同様に広島県青少年育成アドバイザー協議会の内山さんからお誘いを受けてのライブでした。
スタッフの皆様のご協力の中、無事にライブをさせて頂くことが出来たことを有り難く思っています。
ライブ後にスタッフの方達とも少しお話をさせて頂くことが出来ました。
ありがとうございました。

街のお祭りの中でのライブを、ひかる君と木原君と3人ですることが出来たという日本の平和な日々に感謝したいです。
天皇皇后両陛下の即位をお祝いしての華やかなパレードが取り行われていた世の中で、フレンチトーストの活動が皆様からのご支援があることで出来ているということについて思いを馳せてみています。
何気ない毎日を普通に送れるということこそが、人生の最高のギフトなのかもしれませんね。
そんなことを思います。


日本の穏やかな休日とは裏腹の世界の現実について、同時に思うことがあります。

隣国のことで今とても気掛かりなのは香港のことです。
一見平和な日本の休日を過ごしながら、僕らの意識にはどれだけそのことがあったでしょうか。
香港ではデモが起きています。
ニュースで報道されているので皆様ご存知かとは思うのですが、このことについてのお話を現在起きている世界の出来事の1つとして僕自身が記憶しておく意味もあり、ブログに書き残しておきたいと思います。
勿論、皆様と思いを分かち合う目的がまずあってのことなのですが。

民主化の為に人々が立ち上がり、権力を奮う体制に反発し講義活動が続いています。
催涙ガスが発砲され、実弾までもが発砲されました。
若者が腹部を撃たれる衝撃的な映像を僕はこの国の平和に埋もれるような暮らしの中で見つめていますが、何も助けてあげることが出来ないでいます。
悲しく悔しい思いです。
日本に支援を叫ぶメッセージが届いています。
香港の民主化の為に自分に出来ることをやらないといけません。

警察官が普段は立ち入ることが許されていない大学の敷地内に入り、デモに参加する学生達を排除しています。
事前に警察側と校長との話し合いが持たれていたようですが、警察側がその時の約束事を破ったというような情報が入っています。
校長も含めて学生達に催涙ガス等による攻撃がなされ、鎮圧が行われているそうです。
長期化するデモの鎮圧をする間に、警察側は人としてのまともな感覚を失い冷酷無情になって行っているような気配を感じる思いで、僕は香港で起きているデモ鎮圧の様子が撮影された映像を観ていました。
メディアや一般市民に向け催涙ガスがまかれる様子も目にしました。
社会から批判を受けたことに対する警察側の怒りの表れなのでしょう。

平和を守り築くことの難しさを感じます。
獰猛な動物のように街を巡回するピストルを持った私服警官は、とても暴力的で荒んでしまっているようでした。
こうなるとデモ活動は過酷に違いありません。
死者も出ていて、命懸けの民主化を叫ぶデモが続いています。
これは香港の素顔であり、そしてまた日本や世界の素顔だとも言える現実だと思います。
日本に暮らしていて、呑気にお祭りでライブをしていられる僕のするべき役割について考えています。


今の時代はメッセージソングが流行りません。
安保闘争に敗れて以来のこの国の音楽史の流れがあります。
体制に反発してみても無理なので諦めた時、その時代の流れが生まれたように思います。
そして政治的な事柄などについては考えず、時代に流され生きる国民性が定着して行ったように思います。
やがて大切なことが何だったのか、純粋に生きることを問うその思いは人々の心の中から薄れ消え去っていったということのように思っています。
そして現代に辿り着きました。

これはそういった純粋な人の感性が失われて行ったことに対する1つの例え話です。
街の河川が塵だらけの街で、環境への意識を持つ呼び掛けをしても届き難い現実があるのは想像するに難しいことではないと思います。
そのことを街中の人が余り重要視していないというのが理由になると思います。
感性が合わないというよりは、感性自体が育っていないということを意味しているように思います。
メッセージソングが流行らない理由は、そういった感性の欠落が原因なのではないでしょうか。
僕にとっての音楽は、少年の頃に曲を作り始めた時から自然とメッセージソングを作って来ました。
意識してそうした訳ではありませんでした。
時代との解離の意味を見つめながら、この街で自分らしく生きて行く道を探しています。

僕の音楽は、たぶんお祭り向きではありません。
陽気に皆で、ただ盛り上がり過ごす為の音楽ではないからなのではないかなと思っています。
今迄の長きライブ活動の中で、街に出て行き歌っている時には全く異次元空間に自分が佇み孤立している現実を感じているような瞬間があった気がします。
そういう時には、何だか僕の叫びなどはこの国の平和に埋もれてしまい誰にも届かないような感覚になりました。
そういった時代との自分の生き方の食い違いを、ライブをしていてダイレクトに感じている気持ちになる僕がいます。
違うのかもしれませんが、これは正直な思いです。
日本社会の街の風景を見つめていて、時代の危機を感じる思いになるのです。
メッセージ性のある歌が皆無である現代の意味を、僕は1人考え続けています。

僕はこの国によって育み育てられて来たので、祖国に対してお返しすべき恩があります。
祖国への恩返しの意味があり、感謝の気持ちから現実に折り合いをつけて歌い出すしか今は道がない気がしています。
もっと歌が上手くなって、もっともっと素晴らしい歌を作り歌うことが出来たらどんなにいいだろうと思っています。
僕の思いを、ちゃんとこの国に生きる仲間である皆さんの心へと届けられるようなそんな日がやって来ることを願っています。


国という概念自体が大きく変わって行く時代の流れを感じています。
それは家族という概念にも通じるものだと思います。
友達や仲間、あらゆる組織も今迄僕達を繋ぎ留めて来たものが意味を失い、1つの幻想が消え去った現実を見つめている僕がいます。
フレンチトーストをやっていて、バンドメンバーになってくれている仲間にしても社会的な繋がりではなく、もっと自然な成りゆきの中での集合体として今機能しているように感じています。
こうあるべきという矯正は働いておらず、ただ単に心地良くて楽しいから集っている状況だなと思います。
無理矢理に結束した訳ではありませんでした。
無理が効かなくなった組織の姿が現実に表れているように思います。

これは個をまず重視した上で、その個と個が繋がり合った新しい社会モデルの形の始まりを予感させるようです。
国家の破綻や大企業の倒産。
過去のあらゆる社会モデルの失墜の意味は、きっとこの新しい時代の流れに関係しているような気がします。

僕がフレンチトーストの曲を作りストリートに出て歌う時、全く興味関心を持たない人と勝手に集まって来る人とが当然ですがいます。
僕の歌には全く社会的矯正力はないので、それがとてもいい所なのだということに気付いた気がします。
勝手に歌い演奏していることに意味がある気がします。
どこかから来た何者かではもう時代遅れな気がしています。
僕は何者かになる生き方はしたくない人間なのだなと思います。

流行りの歌をカバーして歌う時、少なからず皆さんが耳を傾けるようにとある種の矯正ではないですが、1つのそれに似た力が生まれる気がしていました。
カバーをしているミュージシャンは沢山いますが、その際皆さんに楽しんでもらいたいというだけの純粋な思いからしているだけかもしれませんし、そうではないこともあるかもしれません。
ミュージシャン側の都合の為に矯正力を働かせることは嫌だなと思っています。
僕はひたすらに純粋なものを追い求めています。

矯正というような概念について等には全く関心がなくて、発想することさえしないであろう自然の中で暮らす動物達の生き方にこそ、何か見習いたい大切な生き物としての美しく威厳に満ちた姿を感じる思いになります。
たぶん平和というものの営みに並行したようなサイクルが、このような生き方にはある気がしています。
何をもって立派とするのか、人間の持つ価値観自体が根底から覆されて行く時代の流れを感じています。

音楽をするなら東京。
一流ならばこう。
音楽の世界に存在していたそれらはの価値は全て意味を持たなくなった気がします。
まだ存在しているように感じているならば、それは単に幻想を見ているだけなのかもしれません。
フレンチトーストの音楽を楽しんでくれる人と繋がり合い、新しい時代のパラダイムの上でより自由に人間らしく交流しながらエンジョイして行けたらと思っています。
矯正が全く働かない音楽を生み出し歌い奏でることが、僕の目標なのかもしれないなと思いました。


後日、くれ福祉まつりやふれ愛まつりでのフレンチトーストライブを企画して下さった内山さんから電話がありお話をしました。
内山さんは、また次のフレンチトーストのライブを企画して下さっていてその件での電話連絡でした。
ライブのお誘いを頂けて有り難い話だなと思っています。
いいライブが出来るように頑張ろうと思っています。

その時の電話での僕との会話の中で、内山さんはくれ福祉まつりとふれ愛まつりでのライブをスタッフとしてのお立場で経験されてみて、歌をストリートで街の人に届けるということの難しさを実感されていたようでした。
ライブをする環境として申し訳なくお感じになられておられて、お詫びの言葉を言って下さっていました。
そう言いたくなってしまうようなライブの状況があったことは事実だと思います。
ですがそれは内山さんが悪い訳でも誰が悪い訳でもありません。
これは音響設備のないストリートでライブをする際に、避けられない問題ではないかなと僕は思っています。
ミュージシャンとしてそれなりの力があったとしても、大きな音が溢れている状況ではなかなか音楽をストリートを行き交う人達に伝えることは難しいだろうなと思います。
ましてや無名でオリジナルを演奏しているとしたら、尚更伝わり難いかもしれません。
音楽の良さがちゃんと分かってもらえるような環境作りから、手間暇をいとわずするしかないのかなと考えてみています。
ミュージシャンに力量があれば、音響設備が整っていればたぶんそれなりに共感してもらえるライブが出来るような気がします。
それでもメッセージ性が高くなる程にウケることは難しいのだろうなという気がします。
ストリートでライブをする際は、音響設備があった方が絶対にいいことだけは確かだと思います。
屋内でも通路等雑談をしながら人々が行き交うような場所でのライブがかなり過酷となることは、過去にやって来たライブの経験から良く知っています。
ライブを聴くという目的に基本的に合っていないような場所では、困難が自然に生じてしまうのだと思います。
そういう場合は特に環境作りをして、ライブを聴くに相応しいシチュエーションを用意しなければならないような気がします。
手間が掛かることなので、なかなか大変なことに違いありません。
今回のようなライブをまたする際には、音響設備の問題が課題として残りました。
僕は今回のようなライブはかなり久しぶりのことで、その状況の中でのライブの大変さを改めて痛感しています。
長年ストリートやライブハウスでのライブを僕は沢山やって来ているので、今回のような状況になるであろうことは予測はしていました。
なので覚悟の上での参加でした。

とはいっても何もかもが悪かったという訳ではありません。
まずフレンチトーストのメンバーが楽しんでライブを一緒にしてくれていました。
僕の息子であっても可笑しくない程に歳下になる彼らが、バンドメンバーとして一緒に活動してくれていること自体嬉しい話です。
バンドを一緒にするなら同じ歳くらいの仲間との方が気が楽だったり楽しいということになるケースが普通かなと思うのですが、親程歳上の僕と一緒に演奏活動をしてくれています。
ライブに参加して下さったお客さんとの出会いがあったり、広島県青少年育成アドバイザー協議会のスタッフさん達の協力を頂けたりしたライブをすることが出来て幸せに思っています。
ライブのお客さんとして出会わせて頂いたダンスをしてくれていた小学1年生の男の子のお母さんと、暫くの時間立ち話をするという触れ合いもありました。
今月末にあるきららカフェでのフレンチトーストライブにお誘いの声を掛けさせて頂いたり、LINEでお友達になってもらったりもしました。
もしかしたら厚かましかったのかもしれないのですが、気さくにお話しをして下さり嬉しい出会いでした。
こんな風にして音楽を通じて人の輪が少しずつでも広がって行くといいなと思っています。
内山さんに先月末の呉でのライブの時お願いしていたのですが、テントにシートを吊るして3方向を塞ぎ防音対策をして下さっていたことを思い出します。
僕からの要望に応えて下さってのことで、有り難いことだなと思いました。

僕がやっているのは、音楽を通してのデモ活動のようなものだなと思います。
日本人の多くはデモをしない民族になっています。
安保闘争に敗れて以来の話です。
どうせ無理だと諦めてしまったのです。
それなりの幸せを国や学校や社会から与えられるのならば目を瞑ろう。
安保の正体をしっかり明かして議論し尽くさなければなりません。
その流れに向かって時代が舵を切れるように努力することが、ロックミュージシャンが負うべき義務だと僕は思います。
その義務を果たす為には、誰も見向きもしないような草の根的で地道な活動をこつこつと続けて行く必要性があると考えています。

路上で歌っていれば、そこで歌うしかない程度のミュージシャンなのだという先入観からの眼差しを街を行き交う人々から向けられるのは止むを得ないことのような気がします。
社会では感情や思考を生み出すプログラムとして様々な価値観を無意識の内に打ち込まれ人はみな育って来ているので、無自覚にそのような条件反射を繰り返しているのだという気がします。
実際にまず殆どの場合その通りであるとも思います。
テレビで観たことのある人は神に近付くのだと思いまし、全国ネットのラジオから流れて来た曲ならば価値が高まるような風潮があるのは明らかなことに違いありません。
その洗脳の呪いはなかなか解けるものではないのでしょう。
若い人はテレビを観ない時代になりましたが、古い時代の価値観はまだまだ表現活動をする上でぶつかるであろう問題として存在しています。

芸能界で生き残って行く為に、多くのミュージシャンの大先輩方が社会の掟に止むを得ず従いながらやって来たのだろうなということについて考えています。
ジョン・レノンビートルズの成功により20世紀的成功モデルとなりましたが、彼はその成功の虚しさに気付き新たなる価値観の提示をしようと作品作りを続けている日々の中で亡くなったミュージシャンなのではないかなと僕は思っています。
世界中のミュージシャン達が、未だにビートルズになろうてしているのがこの世界に違いありません。
僕は18歳の時に上京してみて、実際に東京という化け物のように巨大な街の中を歩き回りながらビートルズになっちゃいけないと思いました。
人の心の欲望の全てを呑み込んで行くようなあの街で僕が見つけた答えは、さらば資本主義というソロ活動の中で作ったアルバムに集約されるのだろうなという気がします。
レコーディングをしていないのでリリースには至っていないのですが、311に捧げるアルバムとして作った作品でした。

街に出て歌えば、人々からの色々な反応が返って来ます。
共感の気持ちを持って受け入れて下さる方もいれば、反対に否定的な姿勢でのリアクションが返って来ることも過去のライブ活動の経験の中でありました。
中立的立場での反応もあったことでしょう。
中立的であったりまた否定的な反応があったとしても、歌が更に人々の魂に訴え掛けて共感を生んで行くようなミュージシャンにならなければ、次の時代の熱き希望等は歌えないのだろうなと思っています。
まずはいい作品を作り、そして素晴らしいライブをやって行くことが出来るように頑張るしかありません。


日本はもう先進国等ではありません。
実質的にはかなり後進国と思える事柄が、日々の暮らしの中で顔を覗かせているように思っています。
戦後、アメリカに守られた暮らしの中で失って来たであろうものに思いを馳せています。
人権はあってなかったようなものであったと思います。
ただ社会の平和が表面上は安定し持続していたので、その事実が見え難くなっていたのだと思います。
香港の現実こそが世界のリアルに違いありません。
日本も例外ではないと僕は思います。
香港のデモに参加している学生達の切実なる訴えに心を打たれています。
自由と平和を求めての魂の叫びです。
ひたむきな思いが伝わって来ます。
今日本人は、香港で生きるそんな人々に対して何が出来るのでしょうか。
傍観者にはなりたくないです。


ふれ愛まつりでのライブが済んで、今回のブログはそのライブを振り返りながら僕の思いを皆様に伝えてみました。
ライブに関わって下さった皆様、本当にどうもありがとうございました。

香港のデモ鎮圧の様子を取材して下さっているジャーナリストやメディア関係者である皆様に、届く筈のない言葉ですが思わずありがとうございますの言葉を伝えたくなります。
全くの素人の僕には、このような状況下での取材の大変さについてはただただ想像するしかないのですが、皆様の取材のお陰で香港でのデモの様子の詳細について日本にいても知ることが出来ていますと伝えたい気持ちになります。
本当にご苦労様です。
ありがとうございます。

デモに参加されている皆さんの民主化への思いを、隣国に住む友人として今どのように受け止め、僕達日本人は行動すべきなのでしょう。
銃弾を受けた方のことを考えると、どうしようもなくやるせない気持ちになります。
人々が安心して生きられる社会を望んでいるだけなのに、国家が国民に暴力を奮うことにとても深い悲しみを覚えています。
デモへの参加者が暴徒化しているのではなく、警察側が暴徒化しているとの情報が入って来ています。
警察に逮捕された女性はレイプするぞというような脅しの言葉を言われたそうです。
人間の持つ支配欲は本当に時に恐ろしいものになってしまいますね。
国際社会からの監視が必要だと思います。
世界が関心を持ち、たとえ小さな力だとしても自分にも出来る形で香港の民主化へのデモ参加者の皆さんの思いに寄り添い行動を起こして行けば、民主化は実現して行くと思っています。
必ず民主化して行くと考えているのですが、警察側とデモ参加者の皆さんの衝突による被害が大きくなるか小さくて済むのかや、民主化の実現が早まるか遅くなるかが僕達の関わり方によって違って来ると思っています。
無関心でいることや、自分なんかには大して何も出来ないと思い行動しないことが1番避けなくてはならない状況だと思っています。
香港が早期に民主化に至るように、その為に僕にも出来ることをやって行くしかないと思っています。


■ライブ告知
ふれ愛ランドLIVE
日付 2019年11月24日
時間 15時(50分間のライブ)
会場 ふれ愛ランド(屋内)
入場料 無料

FRENCH TOAST de SHOW!
日付 2019年11月30日
OPEN 14時30分
START 15時
会場 きららカフェ
入場料 ¥1000(コーヒー付き)