スケジュールに花束を

バンド、フレンチトーストのブログ。広島の明王台という団地にあるきららカフェで、2014年春にすがわらよしのりとマスターとで結成したフレンチトーストのストーリーを伝えます。

FRENCH TOAST de SHOW! in きららカフェ 〜闇夜の国〜

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FRENCH TOAST de SHOW! inきららカフェ 〜闇夜の国〜

今月の6日と14日のことですが、久しぶりにきららカフェさんでライブをします。


6日は日曜日で、14日は体育の日で祝日の月曜日になります。
FRENCH TOAST de SHOW!と題したフレンチトーストのワンマンライブとして開催予定です。

10月19日土曜日に予定していたミュージックファクトリーさんでのライブは、中止とさせて頂きましたのでお知らせします。
理由は、この間ライブハウスでの初ワンマンライブを経験したばかりの僕は、まだ計画の立て方が不慣れで上手く進めることが出来なかった為です。
この日のライブに来ようと思われていた方がいらっしゃいましたら、申し訳ございませんでした。
この場を借りてお詫び申し上げます。

10月19日のミュージックファクトリーさんでのライブがなくなった代わりに、6日と14日にきららカフェさんの方でFRENCH TOAST de SHOW!を開催することとなりました。
フレンチトーストのメンバーが、たぶん久しぶりに全員揃ってのライブになると思います。
6日のFRENCH TOAST de SHOW!は、9月16日にミュージックファクトリーさんで開催させて頂いたライブとたぶん同じような曲の構成のライブになるかもしれません。
同じような構成でも良ければ、9月16日のライブを聴いて下さった方も是非遊びにお越し下さいませ。
14日のライブは新しい構成のライブにする予定です。
その為に、新曲や以前作っていた曲でお披露目していなかった曲を演奏曲に入れようと計画を進めている所です。


皆様、どうぞFRENCH TOAST de SHOW!を楽しみに遊びにお越し下さいませ。
宜しくお願い致します。

 

闇夜の国

毎日は本当に切迫した状況下に現在あるなと感じています。
現政権の暴走が何よりも気掛かりです。
来年2020年開催予定の東京五輪が終わるまでが、時代がどちらの方向に進んで行くかの1つの大きな山場となると感じています。
オリンピックという世界規模の華やかなスポーツの祭典が終われば、そこにはこの国の抱えた真の問題が残り現実として押し寄せて来るのではないでしょうか。

とても大切な時期に入る気がします。
日本人は頑張らないといけません。


東京では駅で人が倒れても街中で何か事件に遭遇しても、人々はもう傍観者として街通りを行き交うばかりという所まで他者への無関心は広がっているようです。
とても悲しいことに違いありません。
自分のことだけで手一杯であり、幸せではないということを意味していると思います。
これが日本の現実なのですよね。
恐ろしく冷え込んだ社会になってしまいました。

ミュージシャンは頑張らないといけません。
時代を熱くするのは音楽です。
それ以外にはきっとたぶんありません。
誰の心の中にもいる神を思い出し、安らかな心で生きる日々を取り戻して行かなくてはなりません。

真実を語る勇気。
それが大切だと思います。
他者への攻撃的な皮肉からではなく、愛する真っ直ぐな思いから。
社会変革が急務で必要です。


福島第1原発事故による核汚染という悲劇的な問題に、もっと国家予算を使って真摯に取り組まなくては未来がありません。
やれば出来る筈です。
言い訳はいりません。
核物質の無害化を可能とする技術が、もう既に存在していると思います。
社会的な都合の為に隠ぺいしているだけだという気がします。
そういった情報がよくネットで流れていて目にするのですが、直感的に真実だろうなと個人的には感じています。

癌も治療が可能な方法があり、回復させることが随分前から可能だった筈です。
そういった情報もよくネットに流れていて目にしますが、やはりそれを見た時にも真実だと僕の心は感じています。

何故それが社会の表舞台に登場しなかったのか。
理由はお金儲けが出来なくなるし、庶民に健康で幸せになってもらうと恐怖を煽り病院等に駆け込ませ、医療にお金を注ぎ込ませたりして支配することが出来なくなるという支配者層のもくろみがあったからだと思います。
何とも醜い人の世の闇があります。


311以後の社会はルールが完全に破綻してしまい、皆心の拠り所を失ってしまいました。
秩序が失われ他人への無関心が拡大して行きました。
令和元年を迎えた今、僕達現代人の心の冷え込みは末期的な様相を呈しています。
露骨に排他的思想が街中を闊歩し始めています。
それがつまり軍国の足音です。

日本人は心しないといけません。
戦争を生み出すのはあなた自身であり僕なのです。
無関心でいてはなりません。

東京の街で人が倒れていたら、皆で救済するような社会にならなければなりません。
皆さんが自分自身の人生を取り戻し毎日が生きているだけで幸せだと感じられる日が来たならば、きっと自然に社会はそうなっている筈です。
幸せではない人は他人のことなんかどうでもいいのです。
ですがその態度は、延々と自分自身を不幸にし続けることになるでしょう。
自分も他人もないというのが、たぶん真理だと思います。
他人にしていることとは、実は自分にしていることと同じになるのだと思います。
他人に見せるその人の態度とは、自分にしていることそのものなのだと思います。
暴力的な人とは、自身を愛せず嫌っている人に違いありません。
まず自分のことが嫌いなのですから、ましてや他人のことに関心を寄せ好きになどなれないのだと思います。

朝目覚めて生きているだけで最高というような心の状態が、本当は人のニュートラルな心の状態なのかもしれません。
何故多くの人が不機嫌で当たり前のような毎日を送っているのでしょうか。
たぶん自分自身に余りにも沢山の社会的な制約を設け、正直に生きていないことが原因だという気がします。
人は仕方がないとよく言います。
社会がそうなのだからと。
社会的に容認されないから従うしかないと思えるような掟があることは、れっきとした事実だろうと僕も思います。
ですがそこで諦めたら原発利権社会は永遠に終わりません。
一体この無責任極まりない現在の日本社会の責任を誰が取るというのでしょうか。
それは僕達日本人1人1人ではないでしょうか。
僕はそう思います。
自分を機嫌良くさせるように出来るのは自分だけです。
そしてどんな未来に辿り着き、どういった人生を築き生きるのかを決めるのもまた自分自身の選ぶ選択の積み重ねなのだろうと思います。
抗いようのない運命に泣くことだってあるかもしれないけれど、そこから何かを掴み取り幸せになる術を見つけて行こうとする努力が大切なことなのだろうなと考えています。

そういった話をすると、社会では余り人に歓迎されないことが多いのかもしれません。
誰もそのことを議論するのに必要なだけの自分の哲学を磨いて来ていないという側面がまずあったのかもしれません。
学校ではその方法を教わりませんでした。
人の魂を自由に解放するような真の教育はなかったのです。
社会は資本主義の為に献身的で盲目的に働く奴隷を育てたかったので、人間教育は邪魔だったというのが本音だったのだろうと思います。
そしてその結果、311が起きても何事もなかったかのように呑気に平和ボケして暮らしている令和元年を迎えた今があるのだと思います。
思考停止してしまい、やたらと卑屈で批判がましくて手に負えない自己中人間がパンデミック状態で大量発生しているように感じます。
ですが、それもそうなるような社会構造の中での当然の成り行きだったと思うのです。
道徳的な話を実生活に取り入れることを考えると、古い生き方を手放して1から人生をやり直さないといけなくなるので人は煙たがる反応を見せることが多いものなのかもしれません。
ですがそれをやって行かないと本当に未来に希望がありません。
子供達の未来を奪って行くような生き方をしておいて、仕方がなかったと言い訳をしているのでは余りにも自分勝手過ぎると思うのです。

厳しい現実社会からの逃避として、2次元やユルキャラの流行があったのかもしれません。
昔は幼児対象の玩具だったようなそれらの対象物に、大人が本気ではまる時代性の意味について考えかなり気掛かりだなと思っています。
奪われた子供時代への回帰の意味ももしかしたらあったのかもしれません。
皆社会性を早く身に付けるように急かされ、充分に子供時代を伸びのびと過ごせなかったことの皺寄せが表れていたのかもしれません。
今子供時代をやり直さないといけないような精神状態があったということなのかもしれません。
現実逃避も否定はしませんし、時には必要だろうと思います。
大切なことに立ち帰れるのなら、それでいいのかもしれません。
簡単便利の時代に育てられた僕らは、時代を変えて行く等という大仕事に取り組むのがたぶん苦手なのかもしれません。
現実を良くして行くことはとても精神的に力のいることだと思いますし、簡単便利には物事は進まず根を上げる人が多いものなのかもしれません。
社会変革には時間が掛かり、かなかな結果が見えて来ず忍耐強さも必要でしょう。
地道な取り組みを続けられなければ何も成すことは出来ないのでしょう。

福島第1原発事故は日本人による人災ですから、責任を取る義務が僕達にはあると思います。
腐った社会に埋もれて押し黙っていてはいけないのです。
言い訳はもう出来ません。
きっと時代の流れがそれを許さなくなることでしょう。

皆諦めて知らん顔をして生きているかのようです。
いや。
実際はもっと悪く、初めから自分で考えることはせず正しいと思うことに対して行動など何もしなくなっているのでしょう。
それが今の日本人だと僕は思います。
僕自身も含めての話です。
これではいけないなと思います。


ですが幾らそのことで自分自身や社会に対して責める気持ちを持っていても、何も社会は良くはなって行かないかのように感じていました。
自分自身や社会に対して、本当にもっと大きな器の愛みたいなものが必要な気がしています。
日本人の卑屈に歪んだような精神を1から育て直さないといけません。
僕自身も含めての話です。
それくらいの気構えがないと仕方がない気がしています。
社会の何もかもが壊れてしまいました。
しらけた心を取り繕うものはもう何もありません。
ロックだけに僕は希望を感じています。
音楽に対して、より誠実に向き合わなくてはならないなと感じています。
音楽を鏡として、自分自身の心の中にいる筈の神に出会う必要があると思っているからです。
素晴らしいロックを生み出し奏でるということに希望を感じていて、それをやり遂げたいと強く願っているのです。
そこにこの世への真の救いを感じているので、それを果たす必要性が僕にはあると感じています。
生きて行く為に。


政治家という仕事は、もっとボランティアに近い低賃金で働く仕事である方が本当は相応しいようによく考えてみることがあります。
高給取りにしてしまった現代は、政治家とは名ばかりの偽物政治家のオンパレードで名誉と財産目当ての実力のない政治家がわんさかいるように思います。
社会貢献をする立場の職は、ボランティアとしてでも歓びを持って生き生きと働けるような人が就くべき仕事だと僕は思います。
人が幸せになることがその人の幸せになる訳ですから、無償の奉仕でも構わないと思えるような人が就くべきだと思います。
今の社会は逆の構造になっています。
政治の世界はその代表のように思います。
人気取りのパフォーマンスばかりが目立ち、国民をたぶらかし騙しているとしか思えないようなことだらけです。
テレビや各メディアを使って日本社会という一大劇がどこまでも続いて行きます。
そしてその縮図が各界に於いても広がっていると思います。

学校社会に上手く順応して人気者になったり社会的な評価を取る能力と、他者を本当に幸せへと導く愛あるスピリットとして輝いている人であることとは全く別物なのだと僕は思います。
本当に素晴らしい人は、余り普段目立たないことの方が多いものなのかもしれません。
一流と言われている人であっても、本物中の本物と比べれば赤子のように未熟なもののような気がします。
多くの人が、もしかしたら上を見てピンチの時代に救世主の登場を願っているのかもしれませんがそれはきっとありません。
これからの時代は、1人のカリスマが時代をリードするような流れにはたぶんならない気がします。
僕や皆さんが何とかしようとしない限り、このBlueな時代に終わりは来ないのでしょう。

社会的価値をひっくり返すくらいの革命が僕は欲しいなと考えています。
現実を作っているのは本質的にはきっと僕らの意識ですから、意識が変われば世界は変わると思います。
そういった意味に於いての意識革命を音楽の分野で僕は強く求めています。
芸術が大空を自由に羽ばたいて欲しい。
大ピンチの時代に色々なことを思います。
大ピンチの時代とは、社会がその認識を大して持たない時代とも言えるような気がします。
だから大ピンチの時代になっているのでしょう。
意識があれば、こんなにも酷く物ばかりに価値を置いた社会にはなっていなかった気がします。

危機を感じた時には国防機関を軍国に染め抜いて行くばかり。
これでは世界から争いがなくなる日など永遠にやって来る筈がありません。
もっと心を開いて愛し合おうと歩み寄る努力こそが必要です。
世界的危機とは、自分の他国への許容能力のなさが原因なのかもしれません。
そしてそれは、自分を真に慈しみ生きていないという本質的な問題に繋がっていると僕は思います。
自分をちゃんと愛せていないから、他者を許容したり理解する器が育っていないことが真の問題であると僕は感じます。
幼稚にいがみ合っている姿が戦争に違いありません。

広島長崎の原爆投下という人類史上最悪の悲劇を経験して来たこの日本という国は、その悲しみから得た教訓をたったの七十数年程の時の経過の内に忘れ去ってしまおうとしています。
何とも情けのない話です。
僕の暮らす広島の街は、平和への意識がかなり低くなっていると感じて来ました。
アメリカによる戦後の家畜化計画が見事に成功して、日本人は腑抜けの馬鹿にされてしまったと感じています。
世の中は話にならない不条理に満ちています。
正義や真実等何もないかのような暮らしが続いています。
誰もその意識すら持たないままに。
これでは本当の本当にどうしようもありません。

もう実力のない者を社会的な役割のある立場に置いていてはなりません。
自惚れと私欲の為に生きる人は、その役割から引きづり下ろさなくてはなりません。
当たり前です。
偽物ばかりの街です。

食べて応援も食の安全に対するデータが余りにも適当過ぎて信用が出来ないのです。
核物質の一部だけのデータを取り上げて安全を強調して、流通を何とか回復させる世の中の動きが目立って来ました。
そのことを指摘すると風評被害を煽るなとバッシングの嵐が巻き起こる始末です。
生活して行けなくなる生産者側の苦しい現実があることはよく分かるのですが、だからといって風評被害を煽るなと怒ることは出来ないようなデータ改ざんの事実が存在して来たように思うのです。
核物質への国民の無知をいいことに、御用学者を雇い国家や流通にとって都合のいいデマを垂れ流して来たと思います。
大嘘付きの日本社会です。
多くの国民は国家に依存し切ってしまっていて、大本営発表を簡単に信じ鵜呑みにして安心して来ました。
学校教育のなして来た賜物です。
それでこそ優等生として認められるような反応だと思いますが、それが本当に人間として望ましい姿であったとは到底思えない僕がいます。
経済システム優先で、食の安全が軽視されて来たと思います。
金金金の世の中です。
その先に訪れる未来は、病気の蔓延でしかなかったとしても金が大切なのです。
愚かとしか言いようがありません。
暗い社会ですね。

このまま行くと次の原発事故がきっと起きます。
よく考えてみて下さい。
それが自然の道理の筈です。
だから原発はもう止めないといけないのです。
その為に自分にでも出来る活動を具体的に考えて、取り組み始めるべき時だと思うのです。
傍観者でいてはいけないと思います。
僕達1人1人が本気になって立ち上がり、大したことは出来なくても日常的に無理なく出来る範囲での活動を続けて行くことが大切なのだろうと考えています。

傍観者でいることとは、国家への依存を意味していると気付かないといけません。
社会に従っていさえいれば幸せにしてもらえるというような甘えた考えがあることを意味していると思います。
ですが、残念ながら国家は国民の幸せなど何も考えてはくれないのです。
大人しく従うように仕向ける為の洗脳の言葉や習慣に取り囲まれ、学芸会のような幼稚な劇を毎日は演じ続けているばかりです。
ミュージシャンは政治に口を出すなといった考えが世の中にはありますが、あれは支配者層の蒔いた思想統制の言葉に違いないという気がします。
その罠にはまって、特に自分で物事を深く考えない人達がその思想に染まってしまい語り継ぐ体制よりの意識に取り込まれてしまっているように思えます。
音楽は不平等を拡散助長する政治や体制に対してものを言う為にあると言ってもいいようなものだと僕は思います。
逆です。
真実はきっと。


最近、確かもう日本の音楽は完全に終わっているというような言葉を聞きました。
悲しいですが、違うとは言えないような気持ちになりました。
自惚れに満ちた生存競争の果てに失くして来たであろう、大切にしなければならなかった筈の者達へと思いを馳せています。
僕は黙して歌って行きます。
それしかないと感じています。

令和元年。
闇夜の国より。

 

今日は僕の今の時代に対する考察を語ってみました。
まだまだ青臭さの残る僕の思い上がりの言葉ももしかしたら多くあったのかもしれませんが、感じていることを書いてみました。
ブログを読んで下さりありがとうございます。


今日YouTubeで紹介しているのは、第3回と第4回のFRENCH TOAST de SHOW!のライブ映像です。
第3回のFRENCH TOAST de SHOW!の映像には、ライブ後にお客さん達が帰られてからドラマーのひかる君とひかる君の弟子を名乗る木原君と僕の3人で一緒に演奏を楽しんでいる映像もあります。
皆様に楽しんで頂けたら嬉しいです。


2019 お盆だよFRENCH TOAST de SHOW! 2019.8.13


FRENCH TOAST de SHOW! 2019.9.16


■ライブ告知 FRENCH TOAST de SHOW!
会場 きららカフェ
日付 2019年10月6日 日曜日
OPEN 11時
START 11時30分(当日の状況により多少ライブ開始時間が変わることも考えられます。ご考慮下さいますよう宜しくお願い致します)
入場料 ¥1000(コーヒー付き)

会場 きららカフェ
日付 2019年10月14日 月曜日(祝日)
OPEN 10時
START 10時30分(当日の状況により多少ライブ開始時間が変わることも考えられます。ご考慮下さいますよう宜しくお願い致します)
入場料 ¥1000(コーヒー付き)

※今月19日にミュージックファクトリーさんの方で予定していたライブは、都合の為中止とさせて頂きました。ライブを聴きに来ようと思って下さっていた方がおられましたら申し訳ありませんでした。