スケジュールに花束を

バンド、フレンチトーストのブログ。広島の明王台という団地にあるきららカフェで、2014年春にすがわらよしのりとマスターとで結成したフレンチトーストのストーリーを伝えます。

28日のきららカフェ 〜令和誕生〜

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28日のきららカフェ 〜令和誕生〜

令和という新しき時代が誕生しました。
いつもこのブログへと訪問して下さっている皆様ありがとうございます。
平成に引き続き、令和の時代でも宜しくお願い致します。


いよいよ今日、令和という新しき時代の第1日目を迎えることとなりました。
天皇陛下生前退位が発表されてから、この日がやって来ることを僕個人はかなり強く意識して来たかもしれません。
そんな気がします。

平成という時代を振り返れば、僕にとってはミュージシャンとしての修行を積んだ時間でした。
昭和の終わる頃ギターの弾き語りを覚えて、そして本格的に曲作りを始めました。
作詞作曲と歌。
それぞれの世界を洗練して行く為に、約30年という時間が必要でした。
自分にとっての平成という時代を足早に回想しています。

日本社会全体にとっての平成はどんな時代だったといえるのでしょう。
昭和の戦後の繁栄と引き換えにして来た筈の大切なことを、少しずつ見つめ直さざるを得ない長き時間が流れて来たように思っています。
繁栄から得たものと引き換えにした代償を支払い、原発事故にまで至りました。
原発事故は、経済が急成長を遂げて来たということと光と影の関係にあるように思います。
経済成長という物質的価値に於けるプラスと、原発事故というまた超現実的なマイナスの出来事をそれぞれ経験して0に戻った感があります。
奇しくも令和という時代の元号にもその意味が微かに感じ取れなくもない気がして来ます。
単なるこじつけかもしれませんが、そんな1つのイメージを令和という元号に重ね合わせてみています。
分かっている間違いのないことがあるとすれば、新しき時代に良い意味を持たせるのは僕達現代を生きる日本人1人1人の務めのように思っています。
皆で素晴らしい時代に出来たらいいですね。
頑張りましょう。

昭和から平成へ。
その頃はバブル真っ只中という時代でした。
音楽の世界は歌謡曲が廃れ始めて行き、バブル崩壊と共に美しいメロディーを重視した歌ものが姿を消して行った印象を個人的に強く持っています。

平成になると、不良と呼ばれていた女学生達の長いスカートが何だかやぼったくなって行ったかのようでミニスカートが流行り出したようでした。
昭和の歌姫、美空ひばりさんが亡くなるという出来事もありました。
ひばりさんのことを大して知らなかった当時の僕でしたが、何かその大きな存在感のようなものの損失に対して黙り込んでしまうような気持ちになっていた気がします。
あの時、歌が死んでしまったかのようでもあります。
大きな大きなこの国にいた希望の星が消えました。
ホコ天イカ天ブーム。
やがて誰もがミュージシャンという時代へと流れ込んで行ったように思います。

各界の動きも音楽界の動きと連携していたと思います。
安くて簡単手軽に何でも出来る時代になって行きました。
生産する物の質にこだわらず、安さや便利さといった所に重点が置かれて行きました。
生産性の向上に重きを置いた時代性について考えています。
マチュアであっても社会に順応してニーズを満たしていれば認められるという図式が誕生したように思います。
プロフェッショナルに各界がこだわらなくなって行ったということがいえるのでしょうか。
各界のことを詳しく知っている訳ではないので決めつけて意見をいうことは出来ませんが、良い物を生み出すよりも全てが経済中心に傾いていったということに関しては事実であったように感じています。
ましてやバブル崩壊後は、お金を掛けて良いものを生み出し情熱に生きることが社会的に許され辛くなって行ったのではないでしょうか。
見当外れなことを書いている部分があったらすみません。
僕個人の持っている時代性に対する印象を伝えています。
そんな風にしながら時代は移り変わって来たように思っています。


令和元年を迎えた今、昭和や平成という過ぎ去りし時代を振り返りながら思うのは、社会的な沢山の問題を抱え込んで来ましたが誰かを非難することでは何も救えないということを強く感じている今日この頃です。
本当の人間的な強さや優しさを発揮して、時代の背負った悲しみに向き合い逃げない姿勢で情熱をいつまでも伝え続けること以外には、誰もが自分らしく幸せに暮らせるような世の中にして行く為の解決の道はないという所まで個人的には意識が到達して来たことを感じています。

きっと本当は誰も悪くなかったと思います。
皆それぞれの立場で懸命に生きていたことが分かります。
確かにそのことで誰かを酷く傷つけていたかもしれないとは思っています。
その過ちに気付くことの出来る人は少ないのでしょう。
人間とは、か弱くて哀しい生き物だなと思う側面を誰しも備え持っているものだなと思えて来ます。
だからこそ、きっと可愛くて愛おしい存在でもあったのでしょう。
完全無欠という存在なんて、きっと誰しも愛する気持ちを持てない対象であるのかもしれません。
そんなことを思います。
僕達人間はたとえどんな生き方をして来たにしても、その時点に於いてはその生き方がきっとその人の出したベストの答えだった筈だと感じます。
そういった意味に於いて、きっと誰も本当は悪くなかったのだと思います。
だから愛や夢を歌い、幸せを多くの人にまず感じて欲しいなという気持ちになっている僕がいます。
これは僕個人の抱いた大きな欲の話でもありますが、思いを伝えさせて下さい。
そうでないと何も始められないくらいに、今の日本人の心は疲れ果ててしまっていて元気がないように感じています。
何とかしないといけません。
1人1人がその人らしさを思い出せるように。
令和の時代に歌の担うべき役割はとても大きい筈だと感じています。
そんなことを考えながら、僕はフレンチトーストの活動を続けています。


世の中はゴールデンウィークの真っ最中ですね。
先月28日の午後、予定していた通りにきららカフェさんへ遊びに伺ってライブをさせて頂きました。
この日のことをお伝えしようと思います。

この日のライブは完全にマスターとのリハーサルとなりました。
今月行う予定の令和という新しき時代の誕生を祝ってしようと思っているライブで演奏したい候補曲の中から、まだ練習不足を感じている曲を練習して来ました。

なかなかライブで演奏したい曲の構成が完成せず大変でしたが、ようやく大体の構成が決まったかなという感じです。
僕なりに築き上げて来た構成の在り方があって、そのルールを破らないように何度も曲の並びを作り変えながらまあまあいい感じになりました。
でもまだ曲数が少ないので、どうしても不満が残る印象があるように感じています。

ライブの構成というのはなかなか作り上げるのが面白いです。
僕が憧れて来たミュージシャン達の素晴らしいステージを生で聴いたり映像として観た経験から、全ての楽曲の並びがバランス良く噛み合ったような時凄まじいステージが誕生する印象を感じて来て、その思いがきっと僕の心には原点としてあったのだろうということが関係しているのかもしれませんがライブの構成の在り方のルールが僕なりにあります。
主には、自分のライブの曲の構成の試行錯誤が1番感覚を磨いてくれて来たような気がしています。

今回令和誕生を祝ったライブの曲の構成を更に洗練して行くにはもう時間がないので、今は大体これくらいで精一杯かなと思っています。
一応やるだけのことはやりました。
新曲も演奏予定です。
DREAM COME TRUEというナンバーを演奏予定にしています。

夢が叶うというメッセージがどう伝わるだろうということを考えていました。
言葉通りに受け取ると陳腐な表現にもなり兼ねないタイトルなのかもしれません。
広く浅く世の中に浸透する要素を感じる気がします。
だからこそポピュラリティーのあるキーワードなのかなと考えています。

夢は叶う。
その意味をどう捉えるかは、魂の成熟度がかなり影響しているように考えることがあります。
そしてそれが幸福度にも繋がっていて、とても大切な問題である気がするのです。

例えば僕の人生に置き換えて話をするならば、ミュージシャンとして社会的に認められることを夢が叶うと考えることがベターかなと思っています。
これは1つの答えだろうなと思うのですが、凄く現世的な価値による答えだと感じています。
これが叶わないと死んでしまいたくなるような、狭くて貧しい考え方になりうるなと思っている僕がいます。
僕はそういった意味合いでDREAM COME TRUEというメッセージを発する気持ちでいる訳ではないのです。
志しがあってそれに向かって歩いている方の人生というのは、きっと基本的に既に夢を生きている状態になっていて、振り返ればそれ自体が夢を叶え続けたということになる気がしています。
思いが結実して結果に辿り着ければ、それは勿論素晴らしいことだと思います。
ただそうではない価値観も持った上で、結果を出すという生き方が出来たら理想的かなと考えています。


夢を叶えようと思って自分の思い描く成功のイメージに執着して生きている内は、たぶんまず成功しない気がします。
そんなことも考えずに今恵まれているものへの有り難みが分かって不平不満が消えて行くまで、自分の魂の抱えた深い欲求を満たしてやる努力を重ねて自分自身に文句がなくなった時に自己実現への夢の扉が開くような気がしています。

ポジティブに考えて楽観的に明るく生きようと取り組んでみても、なかなか自己実現は叶わず難しいように思っています。
結局、結果を得ようとして夢や理想のイメージに執着した思いを発し続けているので、その思いの念が現実化し続けてしまっているということなのでしょう。
意識が現実を作り続けていると僕は感じていて、そういった考えを持っています。

自分がまず納得行くまで自分を高めて、初めて夢や理想への執着は手放せるもののような気がします。
そういった段階に入ると、夢を叶えようなどとは思わずに今日取り組んでいることそのものが夢を生きているという意識になり、現実が既に夢にすり替わり始めているので、未来にあるであろう夢の世界を意識が追いかけなくなり、結果的に自己実現の扉がたぶん開くようになる筈です。
自分の持った夢や理想を実現する人間に値すると、魂が抱えた欲求を満たして良いという自らの承認が得られる状態になっているからなのでしょう。
夢はどこか遠い場所にあるのではなくて、まさに今が夢そのものであることに意識が向かうまで、自分自身を磨き夢に対する執着を手放せるまでにならないと夢はなかなか現実化しないもののような気がしています。
もしかすると個人差のある話になるのかもしれませんが、そんなことを考えていました。
凄く哲学的で難しい話なのかもしれませんが、やはり人は自分自身が神であるということがいえるように思います。

僕がDREAM COME TRUEというメッセージに託しているのは、そういった段階にまで魂を磨いて到達し生き抜いた先に結果としてついて来る筈の自己実現の可能性についての思いになります。
令和という新しき時代を迎えようとしている今、この国に再び真の希望が誕生することを願ってDREAM COME TRUEというメッセージを歌いたいと思っています。
形だけの再生ならば可能だと思いますが、希望がなければ世の中は真に復活しようがないと感じています。
生きる意味が見当たらないのですから、プラスの言動が発せられないに違いないのではないでしょうか。
それが今日本社会が陥っているカオス状態の真の姿のような気がします。
令和という名の新しき時代が、誰にとっても素晴らしき時代になりますように。


YouTubeで紹介しているのは、先月28日に行ったきららカフェさんでのAFTERNOON LIVEのダイジェスト版の映像です。
今日のブログでは夢を叶えることについての僕の個人的な思いについて語りましたが、このテーマについての話は1曲目にフルサイズで紹介させてもらっているDREAM COME TRUEというナンバーからヒントをもらいました。
僕達が生きて行く上での希望を抱くことの大切さについて考えています。
DREAM COME TRUEの他には2曲紹介しています。
皆様に楽しんで頂けたら嬉しいです。


フレンチトースト AFTERNOON LIVE ダイジェスト版 2019.4.28

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 きららカフェ AFTERNOON LIVE 2019.4.28
演奏曲
1 DREAM COME TRUE
2 翼の折れたDREAM
3 お天道様
4 DREAM COME TRUE
5 お天道様
6 翼の折れたDREAM