スケジュールに花束を

バンド、フレンチトーストのブログ。広島の明王台という団地にあるきららカフェで、2014年春にすがわらよしのりとマスターとで結成したフレンチトーストのストーリーを伝えます。

2018 CROSSOVER MUSIC LIVE 〜第2の誕生〜

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フレンチトースト 2018 CROSSOVER MUSIC LIVE

2018 CROSSOVER MUSIC LIVE 〜第2の誕生〜


昨年の秋から僕がフレンチトーストライブを本格始動させたことについては、以前にもこのブログで皆様にお伝えさせて頂いています。

今日は、僕にとってそのライブ活動の記念すべき第1回目のライブの音源を紹介したいと思います。



今聴き返してみても胸が熱くなるような思いと共に、あの日のステージが心の中に蘇って来ます。

とても個人的な思いなのですが、音源をYouTubeにアップしてみたことをきっかけに昨年秋からのフレンチトーストライブを一旦振り返ってみようと思いブログを書いてみることにしました。


YouTubeで紹介している今回のライブは、これまでの自分のステージの中でも特に大好きなステージです。

ギターを随分間違えてはいるし決して完璧とは言い難いライブだったとは思いますが、演奏の細かい間違いを抜きにすれば全体的に完成度が高いステージだったと思います。



以前の僕は、聴く人の為に演奏をするというミュージシャンとしての段階にはなくて、ただひたすら自分自身の人生に抱えた苦悩を理解し乗り越えて行く為に音楽をしていたように思います。

そんな僕だったなと今改めて昔のことを思い出してみているのですが、今回紹介しているライブ音源のステージは自分がミュージシャンとしての1つの完成期を迎えたような気がしていました。

ステージに立ち音を出した瞬間から、以前の自分のステージとは何かが違っていたことに気付いていた気がします。

細かな話をすれば、ずっとその兆候を感じながらその日のステージに辿り着いたという感覚だったと思います。

その日は久しぶりとなるステージでした。

ライブをやることを決めたのは確か8月6日くらいのことで、直ぐにミュージックファクトリーのオーナーさんにメールでエントリーをお願いしました。


この話も前にこのブログで書いている話ですが、僕は長年体調を崩してしまって満足に歌が歌えない日々を過ごして来ました。

今も絶好調で歌える日はまずないのですが、それでもステージ活動が続けられてそれなりに歌えるようになったことにとても歓びを感じています。

体調については個人的な話になると思い、余り誰かに話すということはなかったような気がします。

ライブを聴く人にとっては、ミュージシャンの個人的な人生の状況等は関係がなくていい演奏を聴かせてくれるかどうかが重要なことだと思っています。

充実したライブ活動が出来ない理由などについて語るのは、たとえどんな苦しい状況の中にあったにしてもただの言い訳にしかならないと思っています。

ただ、僕は今回人生の中での大きな山を自力で何とか1つ登り詰めたように感じていることもあり、一旦今迄1人で抱えて来た心の重荷をここで降ろす為にこのブログでオープンに語っています。



自分のライブ活動を遠く振り返れば、本当に葛藤に次ぐ葛藤の連続だったなと思います。

若き日の僕は、他人に一切自分の心を解放して心を許すことが出来ないような人間でした。

これは僕達団塊ジュニア世代辺りからの特質のような気がしていて、僕達よりも上の世代の方達にとっては理解し辛いパーソナリティーとして受け止められることが多いのかなという印象を持っています。

この話についてはとても根の深い話になると思うので、またいつか作品にして残していけたらいいなと思っています。

簡単に語ることの出来ない大きなテーマの話だと思います。


バブル絶頂の80年代に少年期を送った僕達の世代の多くは、物質的飽和状態の中でたぶん上昇志向を持ち難くなって行ったのかなと思います。

幾らでも物があり、僕個人としては物では人は幸せにならないということを体験しました。

なのでハングリーにはなれなかったです。

個人差のある話ではあると思いますが、食べ物に困ることもなく何不自由のない生活を送ることの出来た人が多かった時代だったと思います。

バブルというのは特殊な状況ですので、その時期に思春期を過ごしながら生きた人々にとっては特殊な環境からの様々な影響が生じたであろうことは僕がいうまでもない話なのだろうなと思います。

勿論、どんな時代に生きた人にもそれぞれにしか分からない特殊な体験があるものだろうなと思っています。

そして人は誰しも、自分が人生経験から得て来た様々な価値観を当てがうようにこの世界を見つめ感じている生き物なのだろうなと思うのです。

その枠の外にあるものは、誰にとっても未知なる領域であり違和感を持つのはある意味仕方のないことなのかもしれないですね。

そう思います。


人間関係を潤滑に進めて行く上で、他者へのプレゼン能力がとても重要になるように思っています。

僕の場合は、音楽を通してでしか他者と繋がることが難しいような状況がありました。

多くの人は、それなりに社会性を身に付けながら大人になって行きます。

僕の場合は、社会からの矯正を徹底して受け入れないという生き方を幼少期の段階から選び生きて来た人間でした。

母のお腹に宿った時からといった方が合っている気がします。

そういった生き方を選ぶ人は余り見掛けたことがない気がします。

絶滅危惧種並みに珍しく、変わり者だったように思ってます。


そんな僕は、自分の音楽だけを頼りにこの世で生きようと足掻き続けて来たように思います。

当然、そんな生き方はとても難しくて社会的に多くの困難を僕自身が自分の人生に背負い込むことになったように思います。

これは表現者として純粋に何かその道を極めようとする時にぶつかる問題だったように思います。

資本主義社会に育まれ育った1表現者が、その社会の掟に反きながら何か自分の勝ち取りたい美意識の結晶である作品を命懸けで紡ぎ出す行為に至る時に生まれる壮絶な葛藤劇が存在します。

僕の長年抱えて来た体調不良も、深く元を辿ればそんな話に行き着く話だろうと思っています。

それを誰かに分かってもらうことなどは、まず不可能な話であるように思っています。


世の中で天才といわれている人は、大抵が短命でその生涯を終えています。

ほぼ全員といっていいのかもしれないですね。

43歳くらいにその峠がある気がします。

それ以上生き延びて行く為には、どうしても乗り越えなくてはならない人生の高いハードルが神様により試練として与えられている気がします。

そのハードルを上手く乗り越えられそうにないと感じた時に、芸術家は自殺願望を抱くのだろうなという気がします。

たとえ他殺であったにしても、何か不協和音の鳴り響くような運命の足音に追われてこの世から姿を消さざるを得ない状況に巻き込まれて行くのだろうなと感じます。

僕に表現者としての資質がどれ程備わっているのかは、神のみぞ知る話かもしれないなと思っています。

能力の有無に関係なく、僕が1表現者としてのこの人生を自らの意思で選び、葛藤しながらも懸命に生き延びて来たということについては本当です。

そして、多くの偉大な表現者である先輩方が生き延びることの出来なかった年齢を迎え生存することが出来ました。

本当に無名だったということも僕にとってはある意味ラッキーだった気がします。

本当に物事を成そうと思ったら、一人前になるまでには約30年間の下積みが必要だと感じます。

世の中は直ぐに結果を求めたがりますが、本当は長い年月を掛けないと本当の意味でのいい仕事は出来ないような気がします。

早く結果を出せたとしても後で何らかの皺寄せがあり、結果心が潰されて行くような気がします。

ロック界に出現した早熟の天才といわれる人達は、少なからずそういった作用を体験していたように思うのです。

商業ベースと才能とが板挟み状態になり、若き芸術家の心は精神が成熟する前に抱え切れない苦悩により自らを破壊してしまうのではないかなと考えています。

僕の力なんてものは本当に微力であると思いますが、今命があるということを大切にして頑張りたいです。

偉大なる表現者である大先輩達の熱き魂を、この胸に抱いて。



僕は、今後自分が成して行くべき人生の課題について考えています。

欲望の泥沼のような生存競争の続くこの世界で、人は一輪の蓮の花のように凛と胸を張り、清らかな夢を咲かせるよう生きなくてはなりません。

僕にとってもしこの世に救いがあるとするならば、自分の音楽が少ない人かもしれないけれど誰かの真の希望になれた時に生まれるような気がしていました。

昨年の秋からライブ活動を始めてみて、ライブに繰り返しやって来てくれる人との出会いがありました。

本当に有り難い話だなと思っています。

付き合いとして来てくれているのでは、幾ら人がやって来てくれても全く意味がありません。

音楽自体の力によって、リスナーが着いて下さるようでなくては当然なりません。

これはミュージシャンとしての成功うんぬんといった話ではなくて、この社会にとって本当に価値ある作品やステージを残すことが出来るのかという僕の選んだ挑戦についての話です。

なかなか道は険しいですがやり甲斐があり楽しいです。

是非ライブを聴きに来て下さい。


ライブを聴きに来て下さっている方は、きっと客席で僕の歌に御自身の人生を重ねながら耳を傾けて下さっていたのではないかなと思っています。

僕にとって音楽はこの人生の中で特別なものなので、その音楽を必要として下さる方との出会いは僕に絶望から這い上がる力を授けて来てくれていたのかもしれません。

何かこの人生が救われたような気持ちになりました。

ステージに送って下さった温かな拍手を、僕は決して忘れないと思います。

ミュージシャンは、世の中から認められるようになるまでは物乞いに近い場所に押しやられながらの暮らしが続くような、そんな感覚を個人的には味わって来たような部分も時としてあったと思います。

それでもやって来たのには絶対的な目的があったからに他なりません。


不器用者の僕は、まず生きて行く為に歌うしかなかったのです。

そして、この世に問いたい何かをずっと魂の奥深くに抱えていました。

たぶん生まれて来る前からずっと。


そういった必然性の中で辿り着いた1本の記念すべきステージが、今日紹介しているステージです。

これからの僕のミュージシャン人生の始まりのステージであり、半生の旅が終わり次のステージに進んだという第2の誕生の瞬間だった気がしています。

残念ながら映像は僕の手元には残っていません。

ライブをやるのが精一杯で撮影出来るように準備をするだけの余裕がありませんでした。

もしもこのブログを読んで下さっている方の中に映像を持っているという方がおられましたら、教えて頂けたら嬉しいです。

是非映像が欲しいです。


2018年9月16日の日曜日に、僕の地元広島にあるミュージックファクトリーというライブハウスで行ったライブの音源です。

皆様にお時間のある時に是非楽しんで頂けたら嬉しいです。


 
  
MUSIC FACTORY CROSSOVER MUSIC LIVE 2018.9.16
演奏曲
1 愛しき人生
2 AFTERNOON LIVE
3 MY WAY
4 CHOCOLATTES de SHOW!
5 CHALLENGE
6 素晴らしき人生を