スケジュールに花束を

バンド、フレンチトーストのブログ。広島の明王台という団地にあるきららカフェで、2014年春にすがわらよしのりとマスターとで結成したフレンチトーストのストーリーを伝えます。

姫百合の季節

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姫百合の季節

梅雨の中休み。
土曜日の午後、2月以来となるきららカフェでのフレンチトーストライブを楽しんだ。
バンドメンバーは僕とマスターの2人だけだった。
ひかる君ときはぴーは元気にしていただろうか。
コロナ自粛中にて無観客でのコンサートだった。


コロナ自粛中に作った幾つかの曲も演奏した。
古いナンバーから新しい歌迄、フレンチトーストのオリジナルナンバー全18曲を存分に歌い演奏した午後となる。
マスターは、カホンやコンガを叩いたりマラカスを振っていた。
僕とマスターの演奏が曲によってはかなり上手く絡み合い、サウンドが優しくグループしていたように思えた。
僕はスパニッシュギターを弾いていた。
ナイロン弦独特のまろやかで深く優しい音色が好きだった。

お客さんなしでもいいから、そろそろきららでライブ活動を再開したい。
そんな思いからカフェのママさんに電話連絡を取り、土曜日はご都合がいいかどうか伺った。
すると大丈夫とのことだった。
そんな経緯から迎えた土曜日の午後のきららでのライブだった。
コロナが流行り出して2月からライブ自粛に入った。
マスターと2人での完全アコースティックライブは、初期のフレンチトーストのバンド編成での演奏スタイルだった。
一切の飾り立てをしない生音が、心地良くカフェの空間を満たしていた。
派手なエレキサウンドも好きだけど、素朴なアコースティックサウンドも好きだった。
たぶん時代は回帰する。
エレキサウンドや打ち込み等によるデジタルサウンドが行き着く所迄行った感があり、結局最後にはたぶんシンプルな歌の力が見直されて必要とされるのではないだろうか。
僕にはそんな思いがあった。
虚像をミュージシャンが演じ、メディアへの露出の際組織力を投じてカリスマを作り上げる時代はもう随分前に終了したと感じていた。
素晴らしい曲をシンプルに演奏すること。
広島の片田舎でさり気なく暮らしながら、目指す所はとにかくより良い曲を作りラフな自然体での演奏スタイルになっていた。
何事も自然でないと心が受け付けないような時代の到来を予感していた。


この日特に記憶しておきたいのは、千羽鶴というバラードを演奏した後に始まったマスターの昔話についてだった。
千羽鶴は、広島で起きた人類史上に残る悲劇へと思いを馳せたナンバーだった。

ピカドンを忘れないように

ふる里広島の遠い悲しみの記憶を歌っていた。
演奏が静かに終わり、グループ感が良かったことをマスターに伝えていた。
無邪気な少年のようにマスターは楽しそうに演奏してくれていた。
そしてそろそろ次の曲を演奏始めようかと思いながら、一瞬束の間の沈黙が生まれた時のことだった。
マスターが千羽鶴の詞の世界に触れて来た。
あの遠き広島の出来事について。
マスターと会話のやり取りをしながら、次第にマスターは思い出話を始めた。
亡き父からの伝言のような体験談が語られ、生々しい広島の記憶が不意に僕の目の前に浮かび上がって来た…


第6潜水艇は数奇な運命を辿った。
岩国沖かどこかでどうやらラダーか何かが故障したとかで、2度と沖に浮上することが出来なかったとのことだった。

マスターのお父さんが、当時広島の明治堂というレントランでコックとして働かれていた途中の話のようだった。
呉にあったらしい海軍の施設で食事を作り出されていたらしく、そんな接点から第6潜水艇との関係を持っていた。
マスターが呉について語った時、僕は直ぐに潜水艦をイメージした。
呉という街イクオール潜水艦の図式が、僕の心の中にはあった。
子供の頃、父が潜水艦を見に呉へ連れて行ってくれたことがあったからだった。

第6潜水艇は再浮上することが不可能となり、中で艦長が天皇陛下宛に遺書をしたためたようだった。
その重っ苦しかった筈の第6潜水艇内の空気感を想像するとやり切れない思いになった。
マスターのお父さんは、第6潜水艇の捜索にも関わられていた。
そして潜水艇は発見され、蓋を開けて捜索隊が中へ踏み入ることとなる。
言葉にはし難いような光景が広がっていたのだろう。
マスターのお父さんは遺書を発見したとのことだった。
その話は現代に迄語り継がれ、江田島にある海上保安庁の関係の学校の教科書に載っている話なのだそうだ。
歴史的資料として戦争の爪跡が残る。
僕達はそれら1つ1つの無言の証言に如何に向き合って行くべきだったのだろう。
慰霊祭が毎年行われ、遺族が高齢になる迄テレビ局もやって来て続いたらしかったが今はもうなくなってしまったようだった。
マスターのお父さんは、1年に1度訪れるその慰霊祭に毎年参加されていたとのことだった。
戦争を知る世代がどんどんといなくなり、戦争体験の風化は止むを得ず加速していたのだろうと思う。


沖縄の慰霊の日が、今年もまたやって来る。
梅雨の季節と共に…

雨音が姫百合の女学生達の悲しみを歌うかのようだ。
幾度季節が過ぎ去ろうとも、決して忘れてはいけないドラマがある。
例えば第六潜水艇の数奇な運命を辿った話がそうだ。

昭和20年の夏のあの日…
マスターのお父さんは、西の空にきのこ雲を見たようだった。
広島から越して来ていた三原からの光景だった。
随分遠く距離が離れていても、三原に迄あのきのこ雲は姿を現したのだ。
まるで悪魔の支配が天を覆い尽くすように。
きっとそんな悲しい光景であったに違いない。

マスターには、実際に会ったことのない戸籍上に残るお兄さんが2人いた。
皆戦争に行って2度とは帰って来なかった。
親子にでもなれる程歳上になるお兄さん達。
マスターが産まれて、ご両親はさぞ嬉しかったことだろうと想像する。
まるで戦争に行った切り帰らぬ兄達の再来を迎えたかの如くに。
マスターにはお姉さんも2人いたそうだけど、ご両親やご家族にとっては特に男の子の誕生には特別なドラマがあったのではないだろうかと思っていた。

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取り敢えず、きららでフレンチトーストライブを復活させることが出来て良かった。

マスターからのリクエストで繰り返しワンコーラス程を演奏した曲も数曲あった。
どんな風に演奏すると合うかマスターは試していた。
学生時代の部活のような爽やかなノリで、マスターと音楽を通じ楽しいひと時を過ごせた土曜日の午後に感謝していた。
天候にも恵まれて幸せで満ち足りた時間が流れて行った。
ライブをしながら、曲の合間に雑談を交わし飲むコーヒーの味が格別に美味しく感じられていた。

ママさんはターバン作りに夢中の様子だった。
娘さんの愛犬の服も手作りで作られ楽しまれているようだった。
ママさんのハンドメイドショップ、ATELIER Kのお仕事を日々楽しまれながらママさんは過ごされているようで嬉しかった。

時代が幾ら激動しようとも、きららのカフェテラスのシンボルツリーは何事もないかのように季節の移ろいにその身を任せ生命を謳歌していた。
またこんな風に、きららで度々ライブをさせてもらえたらと思っていた。


第17回 FRENCH TOAST de SHOW! ダイジェスト 2020.6.20

第17回 FRENCH TOAST de SHOW! 2020.6.20
演奏曲
1 MISTY
2 FRENCH TOAST de SHOW!
3 午前0時のMOONLIGHT
4 BLUEな時代にSWING JAZZ
5 PASSION
6 I BELIEVE
7 千羽鶴
8 CURRY RISE SATURDAY
9 お喋りなPERCUSSION
10 きららカフェ愛LAND
11 BLUE BIRD
12 PANDORA
13 STAND UP JAPAN
14 日の丸
15 フレンチトースト
16 CHALLENGE
17 素晴らしき人生を
18 OH THANK YOU OH GOODBYE