スケジュールに花束を

バンド、フレンチトーストのブログ。広島の明王台という団地にあるきららカフェで、2014年春にすがわらよしのりとマスターとで結成したフレンチトーストのストーリーを伝えます。

RENDEZ-VOUS

久しぶりのこのブログの投稿となります。

僕は今、きららカフェさんで1000円コーヒー付きのコンサートを開催しようと考えています。

以前コンサートで皆さんにお会いしていた頃から随分時が流れ去りました。

今僕のコンサートに参加を希望して下さる方がどれくらいいるのかなと思っています。

人生の状況の変化する中で、以前はコンサート

を必要としていたけれど今は必要としない方がおられるかもしれません。繰り返しコンサートに来て下さっていた方の数は少なく、今は誰もコンサートに来ないことも考えられます。

2024年の今年は、都合さえつけば日常的にコンサートを楽しみたいと思って下さっている方がいるならば、定期的にコンサートを開催して行きたいなと思いながら僕は過ごしています。

コンサートの開催を希望して下さる方は、希望日時を連絡して下さい。

コンサート開始の時間は、13時から14時の間でやってみようと思います。

違う時間帯が都合が良い場合は連絡して下さい。

コンサート開催の希望があったら、僕の都合が良ければ次にきららカフェさんに連絡を取り会場として貸して頂けるかお尋ねしようと思っています。

そんな感じでコンサート開催が出来るかどうか検討して、結果が出たらコンサート開催を希望して下さった方に連絡させて頂こうと思います。

 

僕の方で日時を決めて開催することも出来ますが、お客さんが全くいないという状況になる可能性があります。

それだとコンサートに参加したフレンチトーストのメンバーと演奏を楽しむことは出来るかもしれませんが、それ以上にはコンサートを開催する意味が余りないかもしれないのでお客さんからのコンサートの要望がある日に開催しようかなと思っています。

仲間内で演奏を楽しむのも良いなと思いますが表現者としては物足りず、基本的にお客さんあってのコンサートかなと思っています。

このブログ記事でお伝えして来たコンサートの開催日時の決め方が上手く行くかどうか分かりませんが、思い付いたことをやってみようと思っています。

僕としては、コンサートを例えば月に1度か2ヶ月に1度位のペースで定期的に開催出来たらいいかなと思っています。

お客さんの反応が良ければコンサートを増やして行こうと思っています。

僕は今2024年のフレンチトーストコンサートについて頭の中で色々と思い巡らせながらリハーサルの日々を過ごし、コンサートが開催出来るくらいになって来ている所です。

定期的に開催する場合、演奏曲目をどうして行くか等具体的なことはまだ決まっていません。

今回開催しようとしているコンサートは、新しく制作したアルバムに収録予定の曲を発表するコンサートにしたいと思っています。

コンテンツが今YouTubeだけなので、お客さんがいない場合でも1度は必ずコンサートを開催して映像作品を残しておきたいと考えています。

フレンチトーストは今年結成10周年を迎えました。

僕は記念作品として、小説と今回コンサートを開催し発表しようとしている楽曲を収録予定のアルバムを制作して来ました。

小説はまだ完成していませんが、大方出来ているかもしれないという状況です。アルバムは完成にしても良いのかなという所迄出来ています。

小説とアルバムのタイトルは同じで、MIRACLE TYPEWRITERです。

今回開催しようとしているコンサートのタイトルもMIRACLE TYPEWRITERにしようと思っています。

僕は今年50歳を迎えました。

振り返れば人生はとても短いものですね。

人生の残り時間を思うと、うかうかしてはいられないような気持ちになります。

この先どれだけ良い歌を作り歌うことが出来るだろうかと考えることがよくあるかもしれません。

日本が希望に満ちた国でありますように。

そう願っています。

その為に音楽で自分に出来ることがあればいいなと思っています。

どんなに沢山コンサートをしたとしても、この人生でライブで皆さんと会える数は知れているかもしれません。

是非是非気軽に何度でもコンサートに足を運んで下さると嬉しいです。

皆様へのメッセージを音声として録音してYouTubeに投稿したので紹介します。僕が新曲として作詞作曲をしたTIFFANY LAND de NICE WEEKENDというタイトルのナンバーをギターの弾き語りで歌ったり、お話をさせて頂いています。


www.youtube.com

YouTubeで歌っているTIFFANY LAND de NICE WEEKENDの歌詞です。

 

 

TIFFANY LAND de NICE WEEKEND

 

Nice Weekend Tiffany LandWelcome

ガラス作りの不思議な国へおいで

不可能なんて言葉忘れ

澄んだ瞳で大冒険 Oh Yeah 青空

Tiffany Land Tiffany Land ジェットコースター 観覧車

素敵なトキメキ Nice Weekend

 

眠れなき夜 天使の翼でFantasy

カボチャの馬車でお城へ向かう舞踏会

どうせなんて台詞しまい

気胸に集おう Oh Yeah 星降る

Tiffany Land Tiffany Land 愉快な仲間のParade

魔法のかかったユートピア

 

 

屋根裏部屋 星に祈る

あの子の笑顔守りたい Oh Yeah Fanfare

 

Tiffany Land Tiffany Land 夢屑散らばるRendez-vous

子供の頃の夢 瞳閉じれば

Tiffany Land de Nice Weekend

戦火燃ゆる

2022年ももう後残す所2日程となりました。

振り返ればあっという間の1年だったなと思います。

皆様にとって2022年はどんな1年だったでしょうか。

もしも苦労することがあったとしても、最後に実りある1年だったと思えたらいいですね。

 

今日は僕が2022年のフレンチトーストの活動を足早に振り返った散文「戦火燃ゆる」と、YouTubeに投稿していた戦中お見舞い申し上げますという曲の今年102日のきららカフェでのライブ映像を紹介します。

 

 

 

戦火燃ゆる

 

心のキャンバスを彩る1枚の情景。

その風景の語り掛けて来る意味を辿るように、戦中お見舞い申し上げますと歌った2022年を今足早に振り返る。

 

 

今年制作して来た戦中お見舞い申し上げますというアルバムについて語りながら、この1年を静かに回想してみたいと思う。

 

アルバムのモチーフとなっていた母の戦争体験記。

昔話として我が街の歴史に刻まれていた福山空襲の様子が僕に伝えられていた。

B29の投下する焼夷弾の雨の中を掻い潜り生き延びた母の姉。

奇跡の少女だった叔母はもうこの世にはいない。

 

 

叔母はコロナワクチン接種後に血栓症を患い体調を狂わせた。

コロナワクチン接種との因果関係はいまだはっきりと社会的に認められてはいなかった。

外国の医師達の研究で、もうとっくにコロナワクチン接種が血栓症を生むことは証明されていたというのに。

日本の医師の中にもこの事実を突き止めた人がいて訴えていたが、社会は無視しているようだった。

超現実から目を背ける日本社会。

国民総崩れの玉砕のエピローグを綴っているかのような経済戦争の黄昏。

 

母の姉である叔母はきっと戦死だ。

余り親戚付き合いがよく出来てはいないので推測としての話になってしまうのだが、誰もそのことについて気付かないからか語られてはいないのかなと思っていたがたぶん間違いないように思う。

2度の戦中を生き、昔奇跡の少女だった叔母に2度目の奇跡は起きなかったということか。

 

 

母は疎開先から父の腕の中に抱かれ、戦火に燃ゆるふる里の街の空を見つめていた。

当時4歳だったという。

妹は母に抱かれていた。

そして母の姉である叔母は、小学校に通う為に1人実家の側の本家に残っていた。

昭和2089日のこと。

 

母の語る戦争体験記から伝わって来た、戦火に燃ゆるふる里の街の空。

その情景が僕の中でコロナの今の時代にリンクした。

戦死だと感じた叔母の人生の終焉の物語が、僕の心の中に現代版の戦中の世をリアルに浮かび上がらせる役割を決定的に果たしたということだったのかもしれない。

 

 

今年の前半戦。

いい曲を作りたいと願い纏まった曲数を鼻歌で作曲し、メロディーをスマホで録音し残していた。

なかなかいい曲が出来ていたように思っていたが、どうしても今歌わなくてはならない必要性を感じていなかった。

 

2022年。

年男だった僕は、縁起の良さそうなこの1年に何かを成したいと意気込んでいた。

そんな最中、4月に叔母が突然亡くなる。

僕と同じ寅年生まれだった叔母は、81日の誕生日を迎えれば84歳になる筈だった。

まだまだ元気だった叔母。

体のどこかを酷く患っているということはなかった。

 

叔母の他界という出来事が、僕が戦中お見舞い申し上げますというアルバムを制作しようと思った動機をもらたしたのだと思う。

5月の終わりか6月位から制作を開始した。

食事もおろそかにして、かなり無理をして急ピッチで全20曲を纏めて行った。

全生活を自分1人でこなし、おまけにメンタル的にも不安定でキツさを感じていた。

そんな中何かを犠牲にしなくてはアルバムが作れない状況があり、止むを得ず生活の基本である食事時間等を削ってしまった。

 

寝ても覚めても音楽音楽。

音楽熱に取り憑かれていた僕は、少年の頃からずっとこの調子だった。

 

78月はコンサートをしたいとリハーサルに励んでいたと思う。

9月に入りコンサートをしたかったが、街にあるライブハウスをコンサート会場として借りようと動き出したのが8月で契約に時間が掛かり113日にライブ開催が決定した。

コンサートの活動開始が自分の希望時期より随分遅れることとなる。

街のライブハウスを借りてのライブ開催は、常にそんなものだったのかもしれない。

お客さんが来てくれるかとか、ライブハウス側や僕自身の都合等あらゆる条件をクリアして行く過程を経る内に時間はあっという間に流れて行った。

 

本当に久しぶりとなるフレンチトーストコンサートの開催だった。

コロナ自粛中につき、僕はソロでも当分ライブをやってなかった。

お客さん達が来てくれるのか、SNSでやり取りしていたが反応がかんばしくなかった。

街のライブハウスでのコンサート開催は、経費がかなり必要だった。

お客さんが集まらず、これは相当赤字での開催になるのかなと予想していた。

それでもいい。

言いたいことを歌にしてコンサートをやっておきたいと思った。

お客さんが着いて来るか来ないかは僕にはどうすることも出来なかった。

 

コンサート開催に当たり、フレンチトーストのメンバーにライブに参加するかどうか久しぶりに連絡を取る。

きららカフェのマスター以外は参加が決定した。

マスターと電話でやり取りしていると、またギターを持って遊びに来てと声を掛けてくれていた。

マスターの本業の建築の仕事が調子が良くて、きららカフェはもう営業してなかった。

マスターからカフェで生計を立てるのは難しいという話を聞いていた。

そんな経緯からマスターは本業の建築の仕事に専念されていた。

僕はマスターの仕事の邪魔をしないようにきららへは行かないようにしていたのだが、マスターがまた遊びに来てと誘ってくれて思わぬ話の展開となる。

フレンチトーストストーリーは、また新たな物語の続きを綴り始めるようだった。

 

マスターとの電話の会話の中でのひょんな話の展開から、10月2日にきららカフェでフレンチトーストコンサート2022戦中お見舞い申し上げますの初演が実現することとなった。

きららカフェといっても、以前のカフェは違った用途で使用されていた為に隣のマスターの設計事務所だった部屋で開催した。

今はマスターご夫妻の娘さんの旦那様がオーナーを務めるガーデンズガーデンというお店のフロアにリフォームされて様変わりしていた。

マスターご夫妻も一緒に働かれているようだった。

仕事が関連していて影響し合っていたようだった。

102日のライブのお客さんは、もう1年位前からライブを聴きたいと言ってくれていた方と後カフェのご近所さん達だった。

ライブを聴きたいと言ってくれていた方の仕事の休日に合わせ突然のライブ決定となっていた。

慌ただしいライブ前となりバンドメンバー全員に連絡を取り打ち合わせたりする精神的余裕が僕になかったので、初期のフレンチトーストのマスターと2人でのアコースティックユニットというバンド編成での開催となった。

コンサートはなかなか良いものになったと思う。

解決しなくてはならない課題が見つかり上手く行かなかった曲もあったが、全体的に合格点をつけても良い仕上がりになっていると思った。

 

その後、113日にお世話になる予定の街にあるミュージックファクトリーというライブハウスであったSDGs音楽祭というライブイベントに参加させてもらいミニライブをした。

長年お世話になっていたクリニック主催のイベントで、ミュージックファクトリーのオーナーから参加しないかという話が来て誘われたことをきっかけに出演させてもらうことに決めた。

このライブはソロとして行った。

僕のライブ目当てで来ていたお客さんがいたとしても僅かだったと思う。

 

 

そして113日のコンサート開催日を迎えた。

蓋を開けてみればお客さんは1人だけだった。

そのお客さんもライブの途中で帰られた。

忙しくされている知人だった。

たぶん用事が出来たのかもしれない。

SGDs音楽祭でのミニライブも113日のコンサートも僕の中で全体的に出来は合格点をつけて良いと思えるものだった。

ただお客さんが集まらないライブが続いた。

コロナ感染予防の為参加を控えたということだったのだろうか。

今迄来てくれていたお客さん達と細かなコミュニケーションが取れている状況にはなく、お客さんが集まらなかった理由が分からなかった。

単に僕の音楽が必要とされていないということだったのかもしれない。

僕にとってその1番寂しい状況であったかもしれにいということも含め受け止めて行くしかなかった。

 

 

アルバム制作から始まり、コンサートのリハーサルを終える迄の長い孤独な時間。

コンサートを計画して街のライブハウスと契約を取り付け、バンドメンバーとの打ち合わせを経てのコンサート開催。

沢山のハードルを超えてのコンサートだった。

かなり無理をして来て、僕は自分で思っていた以上に疲れていた。

ろくに食事も摂らず、結果ダウンしてしまう。

当然といえば当然の代償だった。

 

12月はひたすら療養の日々だった。

病院に通い、音楽所ではない暮らしだった。

48歳の年男としての1年がもう直ぐ終わろうとしている。

次の寅年が来たら僕ももう還暦なのかと、振り返れば人生はとても早くて短いものだなと感慨に耽る。

社会的な場で人々が作品に触れられるような形として、結果になかなか結び付けて行くことが出来ていないと思う自分の表現活動の現実に焦りを感じている僕がいた。

作品を発表するにも、それなりの物を作ろうと思えば資金が必要だった。

そんな金銭的問題や様々な現実的問題やメンタル的問題に取り巻かれながら、自分が表現したいものをどこ迄形に残し社会に伝えて行くことが出来るだろうかと人生の残り時間を思い考えていた。

死んでから作品が評価されメッセージが伝わることがあるかもしれない。

それはそれで良いかもしれないが、インターネットの時代だし昔とは違って表現者の残した作品が世界に知られ評価される時間はそんなに掛からないかもしれない。

自分がミュージシャンとしてまた1表現者として、社会的に何らかの役に立てたらいいなという思いがあった。

願わくば生きている内にそうなってくれた方がいいと思うのは人間の性だったのかもしれない。

音楽を通して言いたいことを表現したという意味では、今年は合格の年に出来た気がする。

日本社会や時代とは解離しまくっていたかもしれないが。

世の中が僕の音楽をどう評価するかについては、僕にはどうすることも出来なかった。

そこはなるようになれといつも思っていた気がする。

 

 

この日本社会は一体どうなって行くのか。

コロナワクチン接種による深刻な被害について、ようやく世の中が気付き騒がしくなって来ていた2022年師走。

芸能人が若いのにやたら亡くなっていた。

普通に考えてあり得ない状況だった。

コロナの死亡者数が公表される。

いやこれは違う。

大方の数字が、きっとコロナワクチン接種によるコロナ関連死者数というべきものではないだろうか。

僕らが受けている一般教養なんて、たぶん間違いなくデタラメだらけなことが多かったのだろう。

ワクチンが命を守る為に開発されているなんて保証はなにもなかった。

陰謀論だと囁かれていたことの実態が段々と明かされて行く。

そんな陰謀を企てても余り儲け話には繋がらなさそうなら、それをやる根拠はなさそうだ。

じゃあ陰謀じゃないんじゃないのかな。

それよりワクチンバブルの方は本当に儲かる。

陰謀論を企てる意義や根拠は沢山ありそうだ。

そっちの方が浮き世では、相当に高い確率で陰謀が働いてそうな話なんじゃないのかな。

 

コロナワクチンがまるで街の上空を舞うB29の襲来のように時代を覆い尽くす。

神風が時代に吹けば、改憲の話が浮上し赤紙の交付と変わりのないような強制を体制側が国民に強いる構えを見せている。

福島第1原発事故後の後始末も出来ない国が、原発推進を更に続けて行くという狂気の決断を下す。

政府やメディアがやたら防衛力強化を騒ぎ出し、コロナの次は何の為の恐怖による煽動が始まったのかと考えていた。

侵略は恐ろしいが、それ以前に政府やメディアのやっていることが恐過ぎた。

 

 

どうやってももう叔母は帰っては来ない。

SNSをやっていると叔母みたいにコロナワクチン接種後に体調を狂わせ亡くなって行く人がわんさかいた。

特別なケース等ではなく明らかに、かなりの高い割合でコロナワクチン後遺症による体調不良が社会には溢れ返っていた。

コロナによる体調不良だと混同した認識のままで。

素人目にもそれはたぶん違う。

コロナワクチン接種後に身近な人が亡くなってしまったら、流石にコロナの死亡者数について誤認があったのではないかと気付く人はきっと多くなり、考えを改める機会となって社会的洗脳であろうと思われる状況にまかれ生きていられなくなる人は多かったのだろう。

 

そしてこのグチャグチャなカオスの社会は、バブルの頃からずっとこのままで何も変わってなどいなかったんだ。

ただはっきり姿を現したに過ぎなかったと思う。

 

 

僕は2022年という年男だった1年を足早に振り返り、心には母の昔話として聞いた故郷の戦火に燃ゆる赤き空が空襲なき戦火の日々の続く現代の街の空と何だか重なって見えていた。

 

 

 


www.youtube.com

戦中お見舞い申し上げます

Words & Music by Yoshinori Sugawara

 

西暦2千年を超えてこの国は戦前に戻って行った Oh Yeah

僕らは牙折られたライオンみたいだ

Mh Mh  Mh Mh Mh…

この国は Ah やり直せるだろうか Ah

フェニックスよ きっと大空舞う Wow Oh Wow Oh Oh

戦中お見舞い申し上げます

粗品ですがどうぞお受け取り下さい

 

疎開し季節は巡る 空襲 ワクチン B29の再来 Oh Yeah

時代に神風吹けば赤紙かな改憲

Mh Mh  Mh Mh Mh…

遥か故郷 Ah 戦火燃ゆる Ah

乳飲み子抱いた母と赤き空 Wow Oh Wow Oh Oh

戦中お見舞い申し上げます

皆様どうかお元気で この歌手紙に代えて歌うよ

 

戦中お見舞い申し上げます

粗品ですがどうぞお受け取り下さい

軍服背広に 丸の内 神風仰ぎし空

神風

このブログ記事は僕がやっているFacebookに投稿した内容です。

 

 

お久しぶりです。

今日はYouTubeに投稿した先日行った僕がやっているフレンチトーストというバンドの戦中お見舞い申し上げますというタイトルのライブの映像と共に、神風というタイトルの散文をご紹介致します。

ライブ映像は課題がありやり直したい部分を少しカットし編集してあるので、実際に行った演奏通りではありません。


www.youtube.com

 

 

神風

 

神風仰ぎし丸の内の空

戦中お見舞い申し上げます

 

 

西暦2000年を越えてこの国は戦前に戻って行ったかのように思っていました。

 

今僕は一体何を歌うべきなのか

 

2022年。

僕は自分のやっているバンド、フレンチトーストの「戦中お見舞い申し上げます」というタイトルのニューアルバムを制作しました。

レコーディングの予定は今の所ありません。

厳密に話せばアルバム制作はまだ完全には終わっていないのですが大方は完成していて、残りの作業はまたやって行こうと思っているのですが取り敢えず早くライブをやってみたくて次にアルバムに収録予定曲で構成したコンサートを開催しました。

会場はMUSIC FACTORYさんをお借りさせて頂きました。

長きコロナ自粛生活後、ようやくのライブ活動再開となりました。

 

お客さん達は来て下さるだろうか。

僕は不安に思っていました。

ジャパニーズスタンダードとは随分はぐれてしまっていた生き方をしメッセージソングなどを作り歌っていたので、共感より反発の方が大きく返って来るかもしれないという思いが幾らかあったように思います。

結局お客さんは1人だけ来られ、その方は忙しかったのか途中で帰られました。

どういった理由からなのか分からないのですが、今迄たぶん割合関心を持って来て下さっていたのではないかなと思っていたお客さん達が集まらないライブとなりました。

僕は今日の自分に出来ることをやるしかありませんでした。

ライブを自分のiPhoneで撮影したので、映像作品として残すことが出来ました。

この日のコンサートの前に、1回既に明王台にあるきららカフェさんでコンサートを開催しています。

なので今日YouTubeで紹介しているコンサートの映像は戦中お見舞い申し上げますというタイトルの2回目のコンサートになります。

1回目のコンサートも、今迄来て下さっていたたぶん割合関心を持って来て下さっていたのではないかなと思っていたお客さん達は理由は分かりませんが集まらず1人だけでした。

その他のお客さんは数名おられました。

カフェのご近所さん達がメインのメンバーで、以前にもライブに来てくれていた方がおられました。

住まわれている家の近所のカフェでライブが開催されるということで、たぶん気楽に楽しみに来て下さっていたのでしょう。

僕の行うライブにたぶん熱心に来てくれていたという訳ではなかったように思うのですが、ライブに関心を持って下さり来てくれて有り難い話だと思っています。

 

アルバム制作から始まりコンサート開催に至る迄の取り組みは、2022年にやり遂げた僕のミュージシャンとしての大仕事となりました。

今後のコンサート開催は今はまだ未定です。

今日YouTubeで紹介したコンサートについての詳しい話や現在ソロ活動を離れ行っているフレンチトーストの活動についてはフレンチトーストのブログ「スケジュールに花束を」で紹介していてそこで情報を得ることが出来ますのでお知らせさせて頂きます。

 

メッセージソングは必要とされない時代が長きに渡って続いて来ました。

吉田拓郎さんの結婚しようよがリリースされた頃から、その流れはいまだ続いていたように感じていました。

流行を追っては来なかったので本当の所は詳しく知る訳ではありませんが。

 

 

70年安保後。

人々は社会的に抗ってみても敗北し無駄なことをすることを諦めたように思います。

それがどんなに本当は人間として1番尊く大切にしなくてはならないものであったとしても、この社会で上手く生きて行く為に止むを得ず切り捨てて来てしまったのだと思うのです。

きっとそれは僕達にとってのとても深い悲しみになっていたことでしょう。

 

社会システムの中で鬱屈とした感情を抱え、奥歯に物が挟まったような物言いをしながら他人の顔色を伺わなくては世渡りがなかなか難しい社会であったように思います。

感情的抑圧は社会にいじめを生んで来たと思います。

人は非常にか弱く、強くなければ本当の優しさは持てないもののような気がします。

互いに小馬鹿にし合いながらからかい合い、そして生きる為に寄り添い愛し合って来たような何だかそんな暮らしだった気がします。

それは例えば現代のお笑いのノリツッコミにも現れていた気がする。

仲間達とからかい合いながら馴れ合うような習慣が定着してしまっていたような気がする。

互いに尊敬や敬いの心で向き合うなど、武家社会の時代の過去の日本人の精神となり礼節なき時代が続いて来たような気がします。

僕達は一体いつからそんな風になって来てしまったのでしょう。

 

明治維新

終戦の日

70年安保の学生運動の敗北。

 

その頃、僕達日本人は様々に大きく生き方を変えて来たのでしょう。

近代の日本社会では社会的に上手く行かないことを人々はやがてダサいと嘲笑うような風潮に次第に流されながら、ノリと軽さが最重要視されたような80年代をバブルと共に駆け抜けて行った印象が僕の心には色濃く今も残っています。

社会で許容されないことを切り捨て、上手くシステムに順応することが学校教育の最重要テーマとして戦後掲げられ実施されて来たとように思います。

その価値から食み出す者を時代は常に叩き潰そうとして来たように思います。

これは同調圧力についての話です。

 

70年安保の学生運動の敗北は、僕達の暮らしからきっと生きて行く上で見据えるべきものを完全に剥ぎ取ってしまったのではないかと個人的にそう考えています。

つまりは生活の為にするべきことに極端に幸せの価値観の比重が移行してしまい、物質的豊かさこそが幸せだときっと思い込んでしまったのでしょう。

そして現在の社会全体のまるで学級崩壊状態を生み出す迄に至ったような気がします。

見据えるものがなければ社会は結束しないのではないでしょうか。

生憎その結束感のなさが社会を一極化させない歯止めにも働いていたのかもしれません。

一極化はバランスが悪過ぎて良いことではないように思います。

怪我の功名ということもあり、一体何を良しとするのか難しい話を語っているのかもしれません。

 

 

令和の時代になり、コロナパンデミックという名の謎めいた戦中の暮らしがもう数年の間続いて来ました。

僕は戦中お見舞い申し上げますというタイトルの全20曲入りのアルバムを制作しコンサートを開催し、コロナ自粛後のライブ活動再開を無事やり遂げひとまず安堵している所です。

 

僕はこの国に真の民主主義が根付き成熟して行く遥か未来を見据えながら、歌を作り歌っています。

 

 

この国は神風の国です。

2次世界大戦に敗北し天皇陛下による玉砕放送が流された焼け野原の街で、僕達は戦争責任を自らに問う間もなくアメリカにより与えられた民主主義の名の元に新しき時代へときっと直ぐに踏み出してしまったのでしょう。

憲法9条の破棄だとか、故郷の広島が泣いています。

コロナワクチン接種推進は、まるで神風信仰の如くだと個人的に感じて来ました。

それが正しい間違いであるかを議論し争いたい訳ではありません。

お医者様などでもない僕には化学的な根拠を挙げ提示し証明してみせることはまるで出来ないのですから、偉そうに物を言える立場にはないと思っています。

ただ思うのは、人々が自由に自らの思想について語ることの出来ないような妙な時代の空気みたいなものについてはNOを叫ばなければ不味いということを切に思います。

人間として自由な思想を持つことを制限されて行くような、この社会に根強く染みついたような同調圧力の存在がとても恐ろしいのです。

これは真の民主主義の成熟とは真逆の誤った流れだと思います。

基本的人権が奪われているのです。

そしてこれは、今も尚続いている忌まわしき神風信仰の継承であると感じているのです。

 

僕らの抱えた暮らしは不思議です。

インターネットの普及によりその気になりさえすれば誰でも真実と思える情報を幾らでも得られる時代なのに、日本社会的に合わない情報には僕らは無自覚的にバイアスを掛けて切り捨てているように思えていました。

日本社会の現実の中で上手く行くことを正しいと認知する習慣が、徹底的に人々の心深くに染みついているように思えてなりません。

70年安保の学生運動の敗北に端を発した生き方の流れなのでしょうか。

世界の現実から目を反らし、情報鎖国状態の中に自ら無意識的に埋没し変わらないでいることで偽物の安心を得ようとしているかのように思えていました。

そして日常的に小さくいじめ合いながら心のガス抜きをしているかのように感じていました。

 

大切にしたいのはまるで子供のような素直さに宿る感みたいなものだと僕は思っています。

感と言っても当てずっぽではなくて、不自然さに対する感性の話です。

大人になると知識に頼りがちになり、感が大抵麻痺して働き難くなるもののような気がします。

細やかに不自然さを捉えられるようになると、物事の本質から意識がブレ難くなり危険回避の為に働く精妙なセンサーの役割を果たすのだろうと思います。

人為的嘘というものは必ず不自然さを纏っている筈だと思っていて、感性が生きていればかなり容易にその不自然さをキャッチすることが出来るのではと思っています。

不自然は本来誰に取っても心地の良い状態ではないものではないかと思うので、感性が生きてさえいればきっと自ずとその状況を回避する生き方を選択するようになるのだろうと思います。

知識は持たずとも真実を見抜く力が感にはきっとあるように思います。

これは学校教育プログラムにはたぶん余りなく、個人で気付き実践出来る人は少ないような気がします。

残念です。

社会的には感性の豊かさは大抵邪魔になるので、自分の心を捨てるように方向付けられた教育を施され僕らは大人になって来ました。

2次世界大戦後に小さな島国の中アメリカのかさに守られた暮らしを続けて来る内に、日本人は完全に家畜化され井の中の蛙大海を知らずという状況に至っているものと考えています。

自発的に感じ考え行動することが出来なくなってしまったのだろうと思います。

アメリカサイドの洗脳教育の圧勝という所でしょうか。

 

たぶんこの国はそのことを認め始めるしかないような気がします。

どんなに道のりが果てしなく険しくて長いものだとしても。

僕はこの国の大空にフェニックスが翼を広げ舞うことを願っています。

その為に2022年から僕は未来へと語り掛けるように歌いたかったような気がします。

 

 

生きて行く上で見据えるべきものを失くしたこの国は、もはやかつての経済大国の面影を留めることは出来ず人によっては3流国だと言われていると思います。

何だかとても残念で悔しい気持ちです。

 

東京では駅で人が倒れようと、もう誰も足を止めないとの情報を得たことがあります。

何をするのが正しいのかではなく、何をすることが社会で上手くやれることなのかに幸福の価値観がすっかり傾いてしまったということを見事に物語るまるで象徴のような話だと僕は思っていました。

 

 

神風仰ぎし丸の内の空。

軍服は背広に取って代わり、昭和20815日の終戦の日は今も尚ストップモーションのまま気不味い再生を継続しているかのように思えてなりません。

神風に吹かれ揺れた、焼け野原の街に咲く名もなき小さな花にどうかささやかなる幸せよあれ。

 

日本国民の皆様、粗品ですがこの歌を手紙に代えてお贈りします。

どうかお受け取り下さい。

 

戦中お見舞い申し上げます。

 

    フレンチトースト 菅原ヨシノリより

 

 

フレンチトースト CONCERT

2022 戦中お見舞い申し上げます

11.3 MUSIC FACTORY

1

演奏曲

1 夕凪来る頃

2 戦中お見舞い申し上げます

3 コバルトブルーの涙

4 日本一の母への手紙

5 THANK YOU BERRY MATCH FOR MY FRIENDS

6 片想い

7 神風警報発令中

8 51番目の州

 

2

演奏曲

おとぎの国劇場

9 百姓一揆

10 月見酒ポンポコ

 

11 南風

12 ミステリーのエピローグ

13 折れないHEARTTOUGH GUY

 

 〜ドラムソロ〜

 

14 HEARTFULSMILELADIES END GENTLEMAN

15 今日のこの日を忘れない

コバルトブルーの涙

コロナ自粛後久しぶりにコンサート活動を再開し、3回のライブが無事終了しました。

取り敢えず安堵している所です。

 

 

初めのライブは102日にきららカフェさんでマスターと僕の2人で開催しました。

気忙しさに揉まれていた僕はひかる君と木原君に対応する自信や気持ち的余裕がなく思えたので、この日のライブはマスターと2人だけのシンプルなバンド編成にすることにしました。

僕のスパニッシュギターの弾き語りに、マスターがシンプルなセットのドラムやカホンを叩き加わってのアコースティックコンサートとなりました。

初期のフレンチトーストのアコースティックユニットとしての懐かしいバンド編成を僕は楽しみました。

凄く気持ちの良い晴天に恵まれた秋晴れの日で、まったりとした Afternoon Liveとなりました。

 

 

フレンチトーストコンサート2022戦中お見舞い申し上げますの初演ということになりました。

お客さんは数名いました。

その中のお1人が約1年程前からコンサート開催希望の思いを伝えて下さっていて、ようやく実現したライブとなりました。

後のお客さん達はカフェのご近所さん達でした。

マスターと電話でライブ開催の話を進める際、お誘いしてもらえそうな方がいたら声を掛けてみて欲しいということを伝えていたので呼んで下さっていた方達だったのかもしれません。

 

 

ライブは2部形式で途中休憩を挟みました。

子育てママさんが来られていて子供達もいました。

お客さんの中のカフェのご近所さんから玉置浩二さんの田園を歌って欲しいというリクエストもらい、休憩時間に1コーラス弱程になるのではと思いますが歌わせて頂きました。

たぶん歌詞は間違いがあり、ギターコードについてはその場で考えながら演奏しこちらも相当に間違えていたと思います。

たぶん間違いが目立ったのではないかと思う歌を楽しんで頂けていたら良いのですが、歌わせて頂きました。

そのリクエストを含め全15曲を演奏しました。

ラストソングを演奏中のことだったと記憶していますが、マスターご夫妻の娘さんが夫婦で飼っておられる犬を連れてやって来られました。

後からやって来られた娘さん夫婦とワンちゃんの為に、ライブ後の雑談の最中に更に2曲演奏しました。

演奏したのはコンサート本編で既に演奏していた2曲でした。

結局トータルすると17曲演奏したコンサートとなりました。

ライブ後半には修正しなくてはならない2曲の課題が見つかりました。

実際に人前で演奏してみると課題が発見し易くなり、リハーサルで見落としていたその課題に気付きました。

 

 

皆様に囲まれて幸せなひとときを過ごすことが出来ました。

なかなか良いライブになったのではないかなと思っています。

 

 

1015日にあったライブは、ミュージックファクトリーさんでの地元にあるさいきじんクリニックさん主催のSDGs音楽祭というライブイベントでミニライブを行わせて頂きました。

ソロとしてライブに参加し、スパニッシュギターの弾き語りでフレンチトーストの曲を3曲歌いました。

 

YouTubeに投稿したライブ映像を紹介します。


www.youtube.com

 

お客さんについては母が電話でよく話している友人にライブのお知らせ役をしてくれて、その友人に母がライブに誘えそうな方がいたらお知らせして欲しいとの思いを伝えておいてくれたことで友人の友人が2人で参加して下さっていたのかもしれませんが詳しくは不明です。

 

 

この日のライブイベントの主催者であるさいきじんクリニックさんに僕は長い間お世話になっていて、お礼の気持ちを込め作った曲を演奏させてもらえ感謝を表す機会を頂くことが出来ました。

 

102日のライブ同様に、この日のライブもなかなか良かったのではないかなと思っています。

 

 

3回目のコンサートは、113日にミュージックファクトリーさんでのフレンチトーストのワンマンライブとして行わせて頂きました。

2022フレンチトーストコンサート戦中お見舞い申し上げますの2回目のステージとなりました。

ひかる君と木原君との久しぶりの再会を果たしました。

マスターとも既に電話連絡をした際に久しぶりの再会を果たしていましたが、その後102日のライブで今度は実際に会っての再会を果たせこれでバンドメンバー全員との実際に会っての再会を果たすことになりました。

ひかる君と木原君ともマスター同様に、113日のライブ以前に電話では再会を既に果たしていました。

マスターはこの日のライブには不参加でした。

以前きららカフェに置いてあったコンガは、マスターのお友達の物を借して頂いておられました。

そのコンガはもうお友達に返されていて、電話でライブ参加をどうするか伺い話した際今はコンガを叩いていないのでと確かそんな風に言われ参加を辞退されていました。

 

ひかる君がドラムを叩いてくれましたが、今社会人としてジムで働いていて体を鍛えているようで以前よりもドラムがパワフルになっていました。

電話で久しぶりの再会を果たした際、自分のバンドを結成し曲を作りボーカルを担当しているのだと話して教えてくれていました。

夢を持って頑張っているようです。

皆様には是非応援してあげて欲しいなと思います。

フレンチトースト同様にひかる君のバンドも宜しくお願いします。

 

木原君はカホンを叩いてくれました。

以前最後に会った時小学6年生でしたが、今は中学3年で受験生になっていました。

初め電話で話し再会した際、声変わりをしていました。

ライブで実際に会い再会した際には、背が随分高くなり別人のように成長していることが分かりました。

 

バンドメンバー全員元気で嬉しかったです。

 

 

113日のライブも紹介して来た後の2回同様になかなか良いライブになったと思います。

15曲を演奏しました。

 

課題点としては、2曲目に演奏した戦中お見舞い申し上げますのリズムがフレンチトーストのメンバーとこれ迄に演奏したことのないもので慣れておらず上手く行きませんでした。

僕自身のリズムに問題があった気がしています。

カホンを叩いていた木原君にはたぶん演奏する上で然程問題がなかった気がしますが、ドラムのひかる君は大変だったと思います。

リズムを刻むのに苦労していた様子でしたが、ワンコーラス終わった頃からラスト迄は僕の演奏にかなり上手く着いて来てくれていました。

僕とひかる君の呼吸が合わせられるように課題点を見つけ出し、リハーサルをしていけば解決して行くように思います。

 

102日のきららカフェさんでのライブで戦中お見舞い申し上げますの演奏をした際、マスターはたぶんドラムのスネアをコンガみたいに叩いたりシンバルを指を立てドラムのスティック代わりのようにして叩いたり手で叩いたりカホンを叩いたりしていたと思います。

113日のライブの時の木原君同様に、たぶん然程演奏に難しさはなかったのではないかなと思います。

 

どうやらドラムをスティックで叩いた際、ハイハットやシンバルを刻むリズムが取り難いという課題のようだと思っています。

たぶん僕の演奏自体が少しテンポが速過ぎて不安定であることが1番の課題のような気がします。

以前午前0時のムーンライトとBLUEな時代にSWING JAZZという曲でも同じ問題が初め生じていたように思います。

リハーサルを繰り返して行く内に、コツを掴み段々上手く乗り越えて行くことが出来ました。

たぶんその時と同じ要領で解決して行けるのではないかなと思っています。

たぶん僕の問題が解決すれば、ひかる君は上手くドラムを叩けるのではないかなという気がします。

ひかる君もたぶん慣れている訳ではないリズムだったのではという気はします。

ひかる君自身にも課題があったとしても、リハーサルを少しして行けばひかる君は問題を解決して行くのではないかなと思っています。

 

102日のライブでマスターは参加してくれていた曲全て上手く演奏してくれていたと思います。

1015日のライブの演奏については間違いがあったことを除けば問題は何もありませんでした。

113日のライブでは終盤の1曲にも課題が残っていたことに気付きました。

 

3回のライブでの課題点についての話をしていますが、詳しく説明していない後の課題については僕1人で解決出来る問題でした。

単純な話で僕のキーではなかったなというだけの話でした。

 

 

113日のライブのお客さんについては、1人来て下さっていました。

その方は知人で生活状況をある程度把握しているので、たぶん忙しい中ライブに来て下さっていたのではないかなと想像しています。

ライブの途中で帰られていました。

その後はホールが貸し借りスタジオみたいになり、コンサートはやがて終焉を迎えました。

 

 

ご紹介して来た3回のライブは全て撮影し映像を残しています。

ミュージックファクトリーさんでのライブ映像は音も照明効果も良いので、資金不足からレコーディングによるアルバム制作が実現しない今貴重な作品になると思います。

僕は出来たらノーカットのコンサート映像を作品として残して行きたいなと思っています。

1番ダイレクトに自分の表現しようとした世界が伝わり易いかもしれないと思っているからです。

この散文の中で取り上げて来た残された課題の解決が済めば、たぶんこれで一応100点満点を自分でつけてあげることの出来るコンサートのセットリストになると思います。

演奏の課題点を解決後、出来たらもう1回戦中お見舞い申し上げますとしてコンサートをミュージックファクトリーさんで開催させて頂きより完成度の高い映像作品を残せたらいいなと考えている所です。

お客様に出来れば沢山来て頂き、盛り上げて頂けたら嬉しいなと思っています。

良いコンサートとは、ミュージシャンやスタッフとお客様とが一体となり作り上げられているものなんだなとつくづく思います。

表現者としてどこ迄も完成度の高いコンサートの実現を目指そうとする僕がいます。

 

113日のライブにひかる君と木原君が参加してくれて楽しめたことに感謝しています。

 

113日のライブ映像の中からYouTubeに投稿した「コバルトブルーの涙」という曲を紹介します。


www.youtube.com

 

今後の特にきららカフェさんでのライブ活動についつですが、お客さんの方から日時の指定を頂いて開催する方法も良いかもと考えてみています。

なので気軽に連絡を下さい。

ライブ開催のご要望があれば、僕ときららカフェさんの都合が良いか検討して連絡を差し上げたいと思います。

ライブ開催希望日の1週間位前迄に連絡をもらえたら対応し易いです。

 

その他の会場でも同じように日時を指定して頂いても構わないと思っています。

ただその他の会場は予約を早くから取らないとたぶん大抵の場合貸して頂くことが出来ないのではないかと思うので、時間が掛かり話がなかなか進まず大変かもしれません。

 

 

11月と12月にきららカフェさんで1回ずつ位コンサートが開催出来たらいいかなと思っています。

勿論お客様からのご要望があれば、可能ならライブをもっと多く開催したいと思います。

12月にライブを開催する場合は、今年はクリスマスコンサートをやってみようかと思っています。

お客様がいなかったら中止にするかもしれません。

少人数でもお客様がいたらなるべく開催したいなと思っています。

そんな風に思っていますので、是非ライブに遊びに来て下さい。

 

コロナの時代が続き、感染拡大防止の観点からコンサートには参加しないという方もおられるかもしれません。

ご自身のお考えを大切にして頂けたらと思っています。

 

 

最後にコンサートの会費についてお伝えしたいと思います。

今回料金設定を模索的に高く設定させて頂きました。

きららカフェさんでのライブでは、カフェの売り上げの確保の為にお客様に必ず500円で飲み物を買って頂くようになりました。

以前はワンドリンク付きで1000円でライブを開催していました。

この1000円は、会場費と飲み物代として全額きららカフェさんの方にお渡しさせて頂いていました。

 

今迄のライブはボランティア的にやって来ましたが、今回のライブからは僕の収入に繋がるように会費の設定を模索的に高くしてみました。

ですがお客様から実際会費を受け取ってみて、何だかその方の背負われているかもしれない労働の重みみたいなものがヒシヒシと伝わって来る気がして、僕はこんなことを経験する為に歌を作り歌って来た訳じゃないと思いました。

 

なので今度から投げ銭ライブという今迄にやったことのなかったライブにしてみようと思います。

ライブをただで楽しんで頂いてもいいし、お客様のお気持ちで幾らか支払ってもらっても構わないというライブです。

ライブはお客様にとっての価値こそが本当の価値だと思います。

なので次回からはお客様側に会費を決めて頂くやり方を選択してみようと思います。

 

僕は今迄音楽をやって来て幾らかお金が入って来ることはありましたが、たぶん黒字のお金を得たことはありません。

ライブ開催の為の費用の1部負担に回って消えて行ったのではないかなと思います。

今僕のライブに来て下さるお客様が大した数いてくれる訳ではないので、どんなに沢山来て下さったにしてもたぶん大抵の場合がライブ開催費の1部負担程度の収入を得ることしか出来ないのではないかなと思います。

 

僕の夢の1つに基金設立がありますが、今の段階ではそれは夢のまた夢です。

コンサートで得た収入等を全て基金として積み立てて行くことが出来たら、1番幸せなことなのではないかなと思っています。

自分の表現活動を賄ったり、また緊急時の物資支援に使ったり様々な社会問題に対していつでも使えるように積み立てておけたらという大きな夢があります。

僕の表現活動自体が循環型社会モデルに出来たらいいなと夢見ています。

僕も人間なので特に表現活動を豊かにする為の贅沢はしたいという気持ちはありますが、基本的には生活して行くことが出来て元気でいい歌を作り皆様に音楽を楽しんで頂けたらそれ以上に求めるものは本当はないように思っています。

 

コンサートの会費について少し思っていることを伝えさせて頂きました。

 

 

2022年ももう残す所2ヶ月を切りましたね。

皆様風邪に気を付けてどうぞ元気でお過ごし下さい。

 

 

 

102日のライブの演奏曲です。

 

フレンチトーストコンサート

2022 戦中お見舞い申し上げます 初演

2022.10.2 きららカフェ

1

演奏曲

1 夕凪来る頃

2 戦中お見舞い申し上げます

3 コバルトブルーの涙

4 日本一の母への手紙

5 THANK YOU BERRY MATCH FOR MY FRIENDS

6 片想い

7 神風警報発令中

8 51番目の州

 

1部と2部の間の休憩時間に、お客さんからのリクエストに応え玉置浩二さんの田園を歌う。

9 田園

 

 

2

演奏曲

おとぎの国劇場

10 百姓一揆

11 月見酒ポンポコ

 

12 南風

13 折れないHEARTTOUGH GUY

14 HEARTFULSMILELADIES END GENTLEMAN

15 今日のこの日を忘れない

 

ライブ終了後に、マスターご夫妻の娘さんと娘さんのご主人さんと飼っておられるワンちゃんの為に2曲歌う。

16 HEARTFULSMILELADIES END GENTLEMAN

17 日本一の母への手紙

 

おとぎの国劇場では、オープニングテーマ曲であるインストロメンタルの曲の主旋律を歌い演奏しました。

1曲目と2曲目の前にはそれぞれ別の短いジングルが入り、本編である2曲が終了後にはエンディングテーマ曲を歌いました。

 

 

1015日のミニライブの演奏曲です。

 

SDGs音楽祭 菅原ヨシノリミニライブ

2022.10.15 ミュージックファクトリー

演奏曲

1 素晴らしき人生を

2 I LOVE さいきじん JIN JIN

3 HEARTFULSMILELADIES END GENTLEMAN

 

 

113日のライブの演奏曲です。

 

フレンチトーストコンサート

2022 戦中お見舞い申し上げます

2022.11.3 ミュージックファクトリー

1

演奏曲

1 夕凪来る頃

2 戦中お見舞い申し上げます

3 コバルトブルーの涙

4 日本一の母への手紙

5 THANK YOU BERRY MATCH FOR MY FRIENDS

6 片想い

7 神風警報発令中

8 51番目の州

 

 

2

演奏曲

おとぎの国劇場

9 百姓一揆

10 月見酒ポンポコ

 

11 南風

12 ミステリーのエピローグ

13 折れないHEARTTOUGH GUY

14 HEARTFULSMILELADIES END GENTLEMAN

15 今日のこの日を忘れない

 

102日のライブ同様に、おとぎの国劇場ではオープニングテーマ曲であるインストロメンタルの曲の主旋律を歌い演奏しました。

1曲目と2曲目の前にはそれぞれ別の短いジングルが入り、本編である2曲が終了後にはエンディングテーマ曲を歌った所も102日のライブと同じになっています。

ライブ告知

前回のブログで告知していた2本のライブを行うことが決まり、詳細についてお知らせします。

 

 

SDGs音楽祭 さいきじんクリニックPRESENTS

 

福山市瀬戸町にあるさいきじんクリニックさんのイベントで、沢山のミュージシャンが参加予定となっています。

さいきじんクリニックさんには以前お世話になっていて、ご縁を頂きこのイベントに参加することとなりました。

僕は菅原祥倫として1330分から20分間ミニライブをします。

フレンチトーストの曲をギターの弾き語りで歌う予定です。

1部と2部があり、2015分終了です。

 

 

日付 20221015日 土曜日

Open 12 Start 1230

会場 福山MUSIC FACTORY

チケット ¥1000+1 DRINK¥600

 

 

フレンチトーストコンサート 2022 戦中お見舞い申し上げます

 

今年制作して来たアルバム「戦中お見舞い申し上げます」に収録する予定の曲をほぼ全曲発表します。

リリースの予定はありませんがコンサートで歌います。

是非お越し下さいませ。

 

 

日付 2022113日 木曜日(祝日)

Open 1830分 Start 19

会場 福山MUSIC FACTORY

チケット ¥2000+1 DRINK¥600(中学生以下半額幼児無料)

 

 

コンサートで皆様にお会いすることを楽しみにしています。

ライブ告知

今年初めてのブログ記事の投稿になります。

お久しぶりです。

 

 

コロナでコンサート活動を自粛して数年の時が流れ去り、音楽を通じて皆さんと分かち合いたい思いを抱えての暮らしは続いています。

そして今久しぶりとなるコンサートの計画を立て過ごしています。

リハーサルを続けていて、だいぶ仕上がりつつある所迄に至っています。

本当にコンサートを開催するかまだはっきりした決断を下しておらず、コンサート開催に必要な状況が揃うか日々の変化を見ながら計画を進めています。

 

取り敢えずということで、まだ確定ではありませんがライブ予定をお知らせします。

 

 

日付 2022113日 木曜日(祝日)

時間 19

会場 福山MUSIC FACTORY

チケット ¥2000+1DRINK¥600(未定)

 

 

このコンサートの前に、1015日にミュージックファクトリーさんでさいきじんクリニックさんのイベントがありミニライブをするかもしれません。

たぶん日中のライブになるようです。

 

 

日付 20221015日 土曜日

時間 11-20(出演時間は未定)

会場 福山MUSIC FACTORY

チケット ¥1000(1DRINK付き)

 

 

紹介した2本のライブは、どちらもまだ出演するかしないかどうなるか分からない状況なのですがお知らせ致します。

出演するかしないかや詳細について分かったら、またこのブログでお知らせしたいと思います。

戦火のSPECIAL TOAST

西洋文明の崩壊。

西暦2021年秋の世界情勢を見渡し物思いに耽り込む。

コロナパンデミックは呆気なく収束したかのような報道への印象を受けている。

ワクチンが有効に働いたからだと政治が世論に訴えてはいるが、はなはだ疑わしき御時世だと感じ続けていた。



何がワクチンパスだ!

コロナワクチンは人殺しの武器である可能性濃厚のネット情報を得て、現実と照らし合わせ真実がどの辺にあるのか考えたならば思わずそう叫びたくなった。

ワクチン接種をしないと社会的資格が奪われる強制が働く世界にはおぞましさを感じ人間的でないと感じる。

ワクチン未接種者は社会悪であり排除すべき対象としてリンチを受けていた。

これはまさに戦争状態だと思う。

国家が治安維持という名目で社会安定の為であると聞こえ良く口先で言ってはいるが、格好ばかりで表面上の体裁をつけながら民を家畜化しようとしていると感じられていた。

ふと気付けば日常は第3次世界大戦真っ只中にあるように思えた。

そう仮定して今ある世界情勢を見渡してみれば起きていることの全てに納得することが出来た。


僕はミュージシャンとして立ち上がり闘うしかなかった。

人は必ず大切なことを忘れてしまうから。

だから素晴らしい歌が必要だった。

物質文明の発展の果てにアトランティスと同じ運命を辿るような人類の愚かしき争いがきっとまた繰り返されていたんだと思う。


コロナウィルスは細菌兵器。

感染者数は捏造。

緊急事態のどさくさに紛れて、人々が冷静な判断がつき難い状況を利用し緊急事態条項を持ち出し奴隷化しようとしている。

コロナは政治パンデミックで全くの嘘。

本当に恐いのはコロナワクチンだ。


という視点からどうか世界を見つめてみる時間を持ってみて欲しい。



人々の心が貧しくなり痩せ細ってしまっていた。

心が栄養失調だと思った。

美味しいスペシャルフレンチトーストを振る舞いたい。

争いに明け暮れるこの悲しみの世界に。

どんなに飽食の時代でも人は心が痩せ細れば自ら死んでしまうこともある。

絶望して生きられなくなってしまう。

音楽なんてなくても生きて行ける。

確かにある意味そうだと思う。

だが心の食事を摂らないときっと人は生きられなくなってしまう。


良い仲間とカフェに集い美味しいスペシャルフレンチトーストとカプチーノをどうぞ。

ほっこりと癒されて欲しい。


政治は緊急事態条項を巧みに使って国民の権利を根こそぎ奪う考えだと思われる。

ナチスドイツのヒトラー独裁政権を誕生させる為に用いたやり方だった。

それが現代に復活しようとしていたのだと思うが民がその罠に気付けないと危機感を募らせ僕は暮らしていた。

政治家は殆どみな私利私欲に走り、民のことなど爪の先程も思ってはいないのだろう。

コロナワクチン接種にコロナパス。

セットで一般市民を完全に奴隷化しようとしていることに早く気付いて欲しい。

たぶん僕のその見立ては間違っていないと思う。

人がいいばかりじゃ生き延びることが出来ない。

権力者層は必死で大手を掛けて来ているのだと思う。

資本主義が崩壊し世界の均衡が破れ貨幣経済や物流が麻痺し切迫していた。

だからコロナパンデミックが必要だったのだろうと考えていた。

戦争を仕掛けて経済難を突破するやり方は歴史の中で繰り返され事実として記録されている。

民よどうか目を覚ましておくれ。

世界中の人々に起きていることの真実と思われる今話して来たことについて分かって欲しかった。


オーストラリアではコロナワクチン接種の義務化で警官が国民を取り締まっていた。

ネットには生々しい映像が流れる。

日本のメディアが取り上げない世界の現実だった。

数年前に香港で政府と大学生達とか衝突した際にも、隣国であるにも関わらず日本のメディアは香港の人々の自由を求め立ち上がる動きを弾圧する恐ろしき政府の姿を誠実に伝えていなかったようだった。

僕はネットで幾らか情報を入手して惨劇の映された動画に衝撃を受けていた。

だが香港でデモを起こしている人達の為に何が出来る訳でもなかった。


世界中で今起こっていること。

監視社会の確立の為の動きなのだろうと思っていた。

コロナパンデミックやそれに伴う様々な事柄はその流れの中で人為的に発生していたのだろうと考えていた。



2021年 12月


9月の中秋の名月を過ぎてからの日々を振り返り、時の流れの早さを思う。

暑さ寒さも彼岸迄というがその通りだった。

暑くも寒くもなく、夏の熱気がクールダウンしていてとても過ごし易く爽やかな気候の秋が僕は好きだった。



10月に入ると自民党総裁選が始まる。

メディアに候補者4名が度々登場し主張を繰り返す。

何が何だか分からないような生温く解釈に首を傾げてしまうような場面にも出くわしていた。

子供の頃よくテレビで国会中継を観る時があったけど、国会議員って何が言いたいのかさっぱり分からないなって思いながら観ていた。

国の大切な話だから難しいことを話してるのかなと思っていた。

大人になった今も国会中継を観ると何が言いたいのか何を考えているのか分からない答弁は沢山ある。

大人って結局、私利私欲と立場で適当に何か不都合なことを誤魔化しながらのらりくらり喋っているからきっと何を言ってるのか分からないんだなと成長して来る中でそう思うようになって行った。

311の時原発事故による放射性物質の危険性についてYouTubeでメッセージし、その思いに共感する人々から支持されてタレントから国会議員になった令和新選組代表の山本太郎さんの発言は全部言ってることが分かる。

本音で語り誠実に受け答えしているからなのだろうなという思いで山本さんを見ていた。

国会では露骨に太郎潰しが横行する。

気が狂った権力層にのさばる人々が、フェアでクリーンな社会の実現を掲げる山本太郎を毛嫌いしていたのだろう。

共産党はヤバイ党だなというイメージがあったけど、今は分かり易い主張をしているなと思って見ていた。

ちゃんと隅々迄読んだことはなく人から聞いた話から知る限りだが、共産党の発行している赤旗という新聞はとても中立で真実を伝えようとしていて嘘のない内容なのだろうとういう印象を受けていた。

自民党は国立大学に例えると東大みたいなものだろうか。


あの有名大学なら間違いがない


何だかそんな妙な日本社会に根強き蔓延する自民党への信頼感や依存心を感じる思いで長年暮らして来た。

選挙をすれば自民圧勝。

色んな裏事情や柵あってのこととしても、そこには国民の後押しが必ず何らかの形であったからに違いなかったのだろう。

昭和的ブランドの象徴のような自民党の朽ち果てたかに見える現在を思う。

それ以外の党については良く分からないことが多いけれど、権力争いであって国民の生活の安定や幸せを真に願ってなどいないのだろうなと思われる駆け引きばかりが目に付くように思えていた。


僕はSNSから距離を取りがちな生活を送っていた。

SNSをやる余裕がなかったという大きな理由があった。

だがそれだけでもなかったかもしれない。

SNSをやる余裕がなかったという理由以外として思いつくのは、人間の意識がまるで凝固しそれぞれの意識レベルに永遠に点在する光のように成長の歩みを止め頑なな主張を繰り返すみたいに感じられそれを嫌悪するようになっていたからかもしれない。

そして自分の居場所のなさを感じていたような気がする。

全く相いれない価値観に隔たってしまい分かり合うことがないという思いを抱えていたのかもしれない。

僕の思いは誰にも届かない。

そうかもしれない。

だがだからこそ伝え続けなくてはならないのだと思った。

そして社会に感じていた頑なさとは僕自身の問題に違いないと改めてそう思った。

真に他人を許容する心の広さを持てるよう自分自身の人間的成長を願った。


日常は学園のクラスの中と相似形だった。

明るく軽くノリ良くの3拍子兼ね備えた80年代的生き方が今もこの社会をリードする存在に求められている要素だったのだろうと思う。

それは1つの明らかなる才能だったと思う。

素晴らしい能力だと思う。

そこに何か別の要素が更に加わることで、もしかしたらこの閉塞した時代を誰にとっても本当に愉快な時代へと導き塗り替えて行く力になるかもしれないということを思った。

何か違った価値観が欲しいと僕は思っていた。

時代は行き詰まり、カードの出揃ったトランプゲームのように既に勝敗は振り分けられ終了しているような毎日を実感していた気がする。

80年代が今終わろうとしているようなそんな令和の夜明けだった。

バブルの幻想を追った平成の黄昏をまだ人々は鮮やかに記憶し、寂れたアーケード街に漂うレトロチックなムードにホロ酔い気分で過去の体験の追体験ばかりを拾い集めるコレクションを楽しんでいる最中のような日常が続いているみたいだった。

バブル崩壊に傷つき、就職氷河期に絶滅したロマンの居所など知る者はどこにもいないみたいだった。

テレビの時代は去れど、メディア依存からの真の脱却はまだ果たされてはいない。

自立した意見を持ち胸を張って生きる自由こそが1番獲得すべき価値だった気がする。

その為に僕に今何が出来るかを考え続けていた。


コロナワクチンへの信頼がスタンード化され、ワクチンパス義務化へと猛烈な勢いで風潮は流れ込む。

現代人が何に依存し信仰しているのかを如実に表す現象だと思った。

彷徨える時代に人は社会不安を願い信じられる何か確かなものが欲しくてしがみつきたかったのだろう。


ワクチン接種をすれば大丈夫

ワクチンパスで社会規制を設ければ上手く行くかも


不安に対する構えは軍国的思想に傾いて行ったと思う。

人は恐いから武器を持つ。

戦後すっかり成りを潜めていた一極へと時代が流れる時のお決まりのパターンがはっきり顔を覗かせていたように思う。

そして戦前の空気になったかと思うと、気付けば戦中の世に僕は投げ出されていた。

人はもう他人の意見を聞く心の余裕はたぶん持ってはいない。


ふと日常会話の中でコロナについての話をする機会があった。

テレビの情報に添い持論を展開する話し相手は、社会的なコロナワクチン接種への流れやコロナワクチンパスについても正当なものであると全く疑いを持ってはいなかった。

世の中から真っ当だと認識されて行くであろう今の日本人の極々平均的意識を持つ人だと思った。

コロナにかかると同居しているお年寄りを感染させる可能性が出て来て迷惑が掛かることを気遣ったり、コロナワクチンパスがないと社会的活動が規制されてしまうこと等を挙げコロナワクチン接種とコロナワクチンパスの正当性を主張していた。

それ以外の考えを無自覚に排除してしまっていたとしても、きっとそのことを指摘されれば気分を害し怒るのだろうと想像していた。

たぶん何を言っても無駄なのだろうと思いながらその人の考えに静かに耳を傾けていた。

社会全体がコロナワクチン接種やコロナワクチンパス取得へ向かい大きく流れを打っていて、もはやその正当性を疑い議論する必要もない。

日本社会全体の意識はそんな所にあった筈だった。

これは戦中モードで右傾化だと僕は感じ続けていた。


多くの人々は自らの信念体系に共鳴した思考や出来事とだけ繋がり排他的になっていると感じていた。

そしてその生き方は暴力的だと感じていた。

白々とした日常。

本音と建て前の境界をぼやかして来た経済成長による備蓄からの浮力が尽き果てた現代の姿を思う。

そこには


いい

悪い


の2つが存在していた。

2元論と言われる分け隔ての世界だった。

ネット社会は今その2元論を明確に形作っているようだった。

本当に優しいと感じられるホッと安らげる投稿に出会うのは稀で、ほほ全ての投稿が一見調和的に見えても実は内部でとても尖り怒っているように感じられてならなかった。

そしてそれを自覚している人はまずいないようだった。

311の時同様にコロナでもこの社会は不安から一極に流れ、経済という物質的現実の救済ばかりを優先し人々はそれを支持していると思った。

破綻する経済モデルの中で極限を体験し人生観を改める位しか意識の成長は望めない状況のように思えていた。


311とコロナパンデミックとは何か類似するものがあると感じられていた。

自然災害的なことなどではない人災の匂いがした。

311の時は東北復興という名の下に絆とういう言葉が流行った。

不気味な一極に傾く正義を目撃した気がした。

それは小さな意識の中での人の暮らしに於ける善意ではあるが本物ではないと感じていた。

せっせと東北復興の為に北の国に通う西日本に暮らすボランティアが不可解な若き死を迎える。

病名は白血病

福1の原発事故で撒き散らされた放射性物質による影響とは誰にも結論付けることが出来なかった。

見ない聞かない言わない。

世の中はその習わしに徹底し準じていたように思う。

古い村社会で集落の掟を破りより自由な社会を求め立ち上がる若者は弾圧されるので多くの者はそのことをきっと恐れていたのと同じく、日本社会はちっぽけな平和の中あぐらをかき何もしようとしない文化が色濃く根付いてしまっていたと思う。


311の時、尾道疎開して来た北の国の人々に出会った。

原発事故による放射性物質の影響を考え列島を西に移動し流れ着いた人々だった。

世の中の流れは食べて応援で疎開組は少数派の生き方だった。

世の中的には気が狂ってる人のカテゴリーに押し込まれてしまうような生き方だったのかもしれない。

コロナの時代の今ではワクチンを危険視する人に向けられた非難へとその流れは続いていたように思う。


結局放射性物質の影響を危険視したりコロナワクチンを危険視すると、経済活動の障害になるから世の中的には排除したかったのだろうなと思う。

メディアは大衆がそう流れるよう情報を規制し洗脳して、感情迄もプログラミングしていたと思う。

このような状況に直面すればこのような不安感情が生まれ、大衆はこのように考えてこのような行動を取るだろう。

権力層にいる人間はそういう風に計算して来ていて、大衆は昔から扇動され家畜化という侮辱を受けて来たように思う。

大衆はたぶん被害者であるが、同時にそれを許可した共犯者でもあったように思う。

そしてその歴史は、経済第1優先が多くの人にとって大切にしたい価値観だったということを物語っていたことになるように思う。


だってそれが現実だったのだから


何だかそんな人々の心の声が聞こえて来るようだ。

凄く説明することが難しい精神的豊かさという世界が別にあった気がする。

日本社会が見失った幸せというものが。

現実に対する捉え方は様々だが、ジュパニーズスタンダードは経済第1優先ということだったと改めて思う。

戦後の高度経済成長期の価値基準に準じた世界観の中に今の暮らしの流れはまだあった。

国立大学ならば東大がトップで、権威的縦社会モデルの継承は尚続いていた。

政治なんてやっていないコネクションを頼りに成り上がった偽政治家が先生などと呼ばれ、権力を振りかざしていられる横暴な社会の存続を容認していたのは明らかに国民側の権威への依存だったように思う。

なんちゃって何とかという自称何々の時代は続く。

全てが無意識下で繋がり合い連携してジャパニーズスタンダードを形作っていたと思う。

幾ら胡散臭いものだとしても、経済第1優先の価値に準じた掟に背いていなければ正しいと認識されて行く。

極めて2元論的分け隔ての差別が良識的だと判断され認められる社会だった。

吐き気がしてゾッとしてしまうがそれが原発利権社会というものだったのだろう。

多くのネットユーザーの意識がその流れを讃美し、従順に資本主義社会の家畜となり丸くおさまっていたように思う。

だがそれでは多くの人の魂を真に自由に解き放ち、希望になりうる価値を獲得することは難しかったのだろうと思う。


アフガニスタンで銃弾に倒れた国境なき医師団中村哲さんを思い出す。

もうあれから2年の月日が流れ去っていた。

身柄が帰国すれど政府関係者に出迎えられることはなかった。

外国で多くの人の幸せを願い生きた1人の心ある日本人が暴力によって命を落とし、国家がその死をともらうこともない。

天と地とがひっくり返ったような日常だった。


コロナワクチンの研究をしたドイツのトップ医師アンドレアス・ノアック氏が武装警察により拘束されたようで亡くなった。

コロナワクチンの危険性を訴えYouTubeライブストリーミング中の出来事のようだった。

ノアック医師によるとコロナワクチンの成分である水酸化グラフェンは構造体がカミソリと同じで安定していて分解され解毒しないもののようだった。

血液中にこのカミソリの刃と同じに当たる物質を流し込み、トップアスリートは血流が早まっている際鋭く内蔵や脳や血管を切り刻まれ急死していると警告していた。

これは明らかなる犯罪の匂いがすると思った。

だがこの話はジャパニーズスタンダードからすれば1部の頭の可笑しな人達の偽情報扱いを受けるものだったのだろう。

世界中で真実を訴えていると思われる人が魔女狩りに遭い消されていた。

人々は日常的に現実として体験しているものを本当のこととして受け取り疑うことを知らない。

実際にそうだったという体験の積み重ねが現実を観念として捉えさせて行き、感性的に引っ掛かりを覚え逆らうことを止めて行ってしまうのだろう。

常識は嘘塗れだがその檻の中で真面な振りをして生きているのが大人なのだろうと思う。

本当のことが世界中に広く知らしめられ、全ての人が自由や豊かさや平和を勝ち取れる未来の訪れを僕は願っていた。

色んなことがまるであべこべになってしまった複雑過ぎる世界で。



僕は創作に明け暮れ、いまだ出口の見えないコロナワールドに思い巡らせていた。

自民党総裁選に突入以後、メディアから流れ続けていたコロナ情報がめっきり激減していた。

ワクチン接種の効果だと世の中は疑っていない様子だった。

久しぶりに街に繰り出し飲み会を開く人々。

夜代行タクシーが一般車両を引き連れ、街の方から近所の住人を送迎して来た場面を見掛けた。

暫く見掛けなかった光景だった。

きっと飲み会でアルコールが回り代行タクシーを呼んで帰宅したのだろうと思った。

ご近所のスーパーでも利用客を集め飲み会を開く予定がある情報が入って来ていたそんな毎日だった。


僕の身近な人々の多くがコロナワクチン接種を受けていた。

そして副反応から体調を狂わせる人が多くいた。

コロナワクチンを接種してみて何か動物的勘で体に違和感を覚えているように思える人もいた。

だが左脳的解釈に現実は擦り替えられ理屈で現状況への判断が加えられているのかなという印象を受けていた。

新しく開発中のワクチンだからまだまだ副反応が出ることも止むを得ない。

そんな意見も聞こえて来ていた。

一見日常は平凡に過ぎ去って行く。

人の暮らしの歓びも哀しみも時の流れの早さに取り残され、そんなこともはや大してどうでもいいことであるかのように世の中は経済活動に付随した価値ばかりを信仰しているように思えてならなかった。

僕の生き方は時代遅れもはなはだしく、周回遅れといった感覚に捉われる。

ラソンに例えると、周りを走っているランナー達は皆一周先でレースを競う人々のように思えていた。



そんな日々を過ごす中で久しぶりに連絡を取って来てくれた人がいた。

僕にコンサートのリクエストをしてくれた。

それを機にライブ活動再開を真剣に考え始めていた。

新曲作りはずっと続けていた。


コンサートのリクエストをくれた方はコロナワクチン接種の2度目を済ませ落ち着いたらライブを聴きたいと思ってくれていた。

そして間もなくコロナのオミクロン株という変異株が発生する。

やがて欧州で感染が広がり始める。

次のコロナ騒動が現れる。

予測通りのシナリオだった。

メディアはワクチン接種とセットでオミクロン株情報を流し始める。

コロナワクチン接種へと扇動されて行く流れの色濃く滲む現実がそこにあったように感じていた。


いつ迄もは続けられそうにないコロナ感染への恐怖を煽った日常と疲弊を続ける人の心。

やってられないものがあると思った。


そしてこれはきっと第3時世界大戦という名の戦中の日々の出来事なのだろうと、僕は結論めいたものを感じているようだった。

そう仮定して現実を見つめると全てがすんなり納得の行くようなことばかりに思えた。

コロナパンデミックとはきっと仕組まれた第3時世界大戦に違いない。

この戦乱の世を治めるのは愛の歌に違いない。

思想でも政治でもない。

まず初めに必要なのはきっと希望に溢れた歌だ。


ワッと泣き叫んで思わず愛しき存在を抱きしめる。

そんな理屈を越えた衝動からの愛の行為が必要だと思った。

理屈は後で現実を上手く生きて行く為に働いてくれればいい。



年の瀬が徐々に迫り気忙しさに揉まれ日常が歩幅を少し広げるように暮らしは歩み続けていた。

消費税が高いランキング世界2位。

ふたご座流星群の到来。

森友改ざん文章は赤木さん自殺の要因と認める判定の報道。

岸田首相は赤木さんの奥さんとの面会を拒否せず、ちゃんと話をして向き合い誠意を尽くして欲しいと思った。

逃げていることは子供でも分かると思う。

メディアもちゃんと岸田首相に逃げず話をして向き合うよう促して欲しい。

皆自分の都合で適当にやっているのだと思う。

誠実に生きた人が苦しみ社会の皺寄せを食らっていると思った。

様々な出来事がまことしやかな現実世界の素顔を描き出す絵の具のように暮らしに色を付け足して行く。


僕の身近ではコロナワクチン接種後血栓症を患った人が現れていた。

既にコロナワクチンが血栓症を生み出す研究結果が公表されていた。

日本のメディアの触れたがらない情報の1つだった。

僕の身近にいる人のその血栓症とコロナワクチン接種の因果関係を化学的に突き止めることは、ドクター等でもない限り誰にも出来ない。

311以後若い人の白血病や突然死と福1の原発事故により撒き散らされた放射性物質との因果関係が突き止めらなかったことと同じように。

311からもう10年目の今年。

僕にとってはあっという間の月日だった。

社会はあれ程の大惨事を経験しても尚変わらず経済第1優先だった。

そして今の所コロナパンデミックへの反応も311の時の原発事故への対処法に類似し変わらないように見えていた。


生活の歩幅を乱すような危険を訴える者は気が狂っていて可笑しく間違っている


社会が守りたかったのは人の命ではなく経済活動だったことは間違いなかったと思う。

不都合な者を抹殺しながらファシズムが日常を大手を振り闊歩している国日本。

それが経済大国の成りの果ての姿としての今日の日本社会の在りようだったのだろうと思う。


サッカーのTIFAの試合で1週間に4人もの選手が心臓を手で抑えるという出来事もあった。

ツイッターで動画や添えられたメッセージが流れていたので知ることが出来た。

音声なしの動画を初め目にしていて何のことかと思ったが見過ごしていた。

数日後だったのではないかと思うが、その動画の意味を知らせるメッセージが打たれたツイートを見つけようやく何のことかを知らせようとしていた投稿だったのかが分かった。

たぶんコロナワクチンの危険性を知らしめる目的で発信されていた動画だったのだろう。

そんなことがあり直ぐに、きっと暗殺されたのではないかと思われるアンドレアス・ノアック医師のコロナワクチンへの警告を思い出した。

カミソリと同じ構造体である水酸化グラフェンが激しくスポーツをするサッカー選手の血管内を血液に混ざり心拍数の高まりの維持と共に高速移動すれば一体何が起こるかは素人の僕にでも理解することが出来た。

だが日本社会では議題に上らないニュースだったのだろう。

SNSでも日常的にこのようなテーマでユーザー同士が連携し合い意見を真剣に取り交わす等という光景は生まれて来なかった。

僕はそのことに酷く落胆していたのかもしれない。

結局は自分の社会的な立場を守りながらの柵だらけの人間関係と偽の友情ごっこってことに日常はなるのではないかという思いから白けた気持ちに傾いていた部分はあったように思う。

そう嘆いたからといって何が始まる訳でもないことも同時に分かっていた気がする。

幼稚園の学芸会のような作り事ばかりの毎日が続いていた気がしていた。



2021年。

振り返るとライブは年始にFRENCH TOAST de SHOW!を1本と10年目の311を迎えミニコンサートをやっただけの1年となっていた。

梅雨の頃にはフレンチトーストの活動を休み久し振りにソロ活動を再開させた。

暫くしてまたフレンチトーストの活動に戻る。

ここ数年フレンチトーストの活動を続けて来て勢いがあったので、やっぱりその流れに今は重きを置き活動して行こうかなと思いフレンチトーストの活動に力を注いでいた。

主に曲作りをしていた。

今後の展望としてはまずライブが出来たらということを思っていた。

フレンチトーストの歌を忘れずにまた聴きたいという人がいてくれただろうか。

なかなか大切なことが伝わり難く心寂しい時代だ。

だがその寂しささえも凍りつき、もはや感覚すら持てない程時代は疲弊しているように思えていた。


難しいことは分からないが、歌い出せばきっと大切なことを社会的な場で多くの人と共有出来る気がしていた。

今の僕には致命的な傷を負い足掻いているように思える時代への対応として、歌以外に可能性が見つけられないでいた。

何を言っても聞く耳持たずで無駄。

権力者層からの洗脳を受けた生温い平和の中では。

そんな気がしていた。

戦争をおっ始めた国で平和を説いても既に役には立たない。

今はきっとすっかり戦中の世だ。

そうとは知らされないままに。



僕はスペシャルトーストの開発に蚤意識を集中させるシェフのような毎日を送っていた。

美味しい物を食べることに歓びを見い出さない人は大抵の場合いなかっただろう。

シンガーソングライターとして歌作りに情熱を注ぎ作品に魂を込める。

どうか僕らに真の自由や平和の意味が分かりますようにと祈りながら。


美しく素晴らしき歌の花束を捧げるより他、このBlueな時代に奇跡を起こす術などない気がしていた2021年12月中旬の今の僕の思いを書き記しておいた。